【散文気分】 - 2019/1/23 Wed -

こんばんは。 1月の後半に冬・本気(マジ)モードの寒波が訪れる。
そんな繰り返しを感じるようになってから、もうどのくらい経つのでしょうか。

記憶をたどれば、少なくとも少年期の頃までは確実に、【その座】は2月のモノでした。

子供向けのカレンダーの挿し絵に雪景色や雪だるまや”かまくら”が描かれていたのは いつでも2月の頁でした。 なぜなら1月には正月があるからですよね。 そこは承知しているつもりです。 でも、そのこととは独立して引き受け続けてきたのが、『本当に寒いのは2月』という経験則だったのかと思います。 そうした流れの好都合とでもとらえましょうか、カレンダー製作業に携わる方々の業務都合ともマッチしていたワケです。

20代の頃に北海道の札幌市内へ転居しました。
以来、8年間を当地で暮らし続けていました。 最初の夏などは天国のように感じました。 特に夜中ですね。 調子に乗って窓を開け放とうものならば、翌朝は普通に調子を崩しましたから。 就職・転職を繰り返した各々の会社・事業所では冷房など”普通”にありませんでした。 応接室くらいなものです。 地下鉄の車内には南部風鈴の音色が鳴り響いていて、その印象は仮に【心かカラダが萎えている】と寒々しく感じられたほどでした。
・・・あくまでも当社比のお話ではあります。

しかしそんな生活を始めてから数年経つと、やがて懐かしい記憶がくすぐられるようになっていました。 『なんだか最近、梅雨時っぽくね?(汗』とか、熱帯低気圧に降格し損ねた【台風】のまんまが来る・・・などが挙げられます。 そのような違和感も札幌をあとにして首都圏へ戻ろうかといった頃には、ありふれた普通の感覚になりつつあったのかなと振り返ります。

1月の終わりから2月の初めに道東の釧路〜厚岸〜根室を業務の出張で旅して訪れたことがあります。 厚岸のある小学校では午前中に校庭でスケートの授業が行われていました。 冬以外の季節では普通に生徒らが飛んだり跳ねたり走ったりしている校庭です。

子供の頃に母から聞かされていた思い出話がありまして。
母の郷里は【栃木県栃木市内】なのですが、冬の早朝に小学校の用務員さんが生徒らの登校してくる前に校庭へ水をまいておくのだそうです。 すると授業が始まる頃にはカチンコチンに凍ったリンクが出来上がっていて、そこでスケートが出来たのだと言いました。

小学3年の冬だと記憶しているのですが。 クラスが学級閉鎖で休みのさなか、父の会社の同僚たちに連れられて富士五湖のひとつ、山中湖半の民宿に一泊して氷上のワカサギ釣りを楽しんできました。 車で迎えに来てもらい最寄り駅に駐車し(途中で昼食に焼肉屋へ寄ったが偏食なので私だけ何も食べず)、小田急・江ノ島線〜東海道線〜御殿場線を乗り継いで御殿場駅で下車しました。 さらに富士急バスで湖畔まで行ったのですね。

空腹は御殿場線の車中で適当な駅弁を食べてしのぎました。 当然ながらもオトナは酒とツマミでしょうか。 前日は湖畔まで下見に行ったのみで民宿に戻り、オトナたちはマージャン、子供(私のみ)はテレビで木曜スペシャル恒例、『UFOと宇宙人』の特集を超(ガン)見してました。 米・陸軍の”黒いヘリコプター”とか、スキンヘッドで青白い顔のコートを着た長身の男なんかが怪しかったのを覚えています。 そしていつものBGMが恐怖心を煽るお決まりの展開でした。

ワカサギ釣りには成人二人が入れる大きさの小さな小屋が使われていました。 氷上に直径2〜30cmくらいの穴を開けた上に小屋を移動し、その中で釣をしてさらに七輪で炙って釣果を食べながら過ごすワケです。 晴天でも氷上は吹きっつぁらしだと厳しいのでして、小屋はとても助かります。 穴釣り以外にもスケートリンクやレンタル・”変わり自転車”のサーキットが整備されていたりと、家族連れでとても賑わっていました。

けれども今のご時勢、湖に久し振りの氷が張った”だけ”で話題になるように、すっかりと変わってしまいました。 あの頃には当たり前だったことが。











22.Jan.2019 大田区・大岡山駅前ロータリーの花壇にて

山中湖半から帰宅した翌日に風邪をひいて数日ほど学校を休みました。
”罰”(バチ)というよりも、ある意味で正しい学級閉鎖の過ごし方ではないかと今では思います。
多くは申しませぬが。

画像はツワブキです。 やや(かなり?)出遅れ気味の満開でしょうか。
花壇整備のボランティア募集が告知されていました。

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