【散文気分】 ─── 二○十七年十○月八日(日)───  快晴のち夕方から曇り(藤沢市)

 こんな夢を見た。

 私がもう二年来で通所し続けている作業所では。 秋の深まりつつある凌ぎ易いその時季に、慣例としてのレクリエーションがいくつか設定されている。 スポーツの類ではソフトボール大会がある。 私も二回ほど参加して、通所仲間や職員たちと週末の河川敷グラウンドで一日を過ごし、お互いに普段とは違う姿などをさらけ出したり、それらを垣間見たりすることには、何処か心地よさを感じられていた。 そしてまたいつもの一週間が始まる。 そんな印象だった。

 そのようなソフトボール大会が例年予定されていた頃。 県○○連・事業所対抗といった大会の運営方式はそのままに、今年度は『秋のスポーツ大会』という催しへと様変わりしたのだ。 県内からは少し離れた山間部の温泉地に広大なグラウンドを借りて行われるという。 関係者のほとんどは宿泊となるのだ。 『秋のスポーツ大会』は一日限りを通しで行うのではなく、半日ずつ二日間に跨る、少しゆとりのあるプログラム設定となっていた。 グラウンドは多種目の競技に適用可能な施設であり、長方形の長辺・片側に観覧席があった。 ラグビーのゴールポストやサッカー/フットサルのゴール等は予め片付けられている。

 普段よりも早く集合した作業所で車に分乗する。 ゆっくりと行楽気分で移動し、目的地の宿泊先へ到着したのは午前十一時半を回った頃だった。 そこで大会の開催を前に昼食を兼ねた休憩時間となる。 沿岸の平野部よりも少し乾いた涼しい山の空気が心地よい。 もはや彼岸を過ぎ、肌に陽の直射が当たっても幾分やわらかい。 ちょうど木陰になっていたデッキ上に胡坐をかいて弁当を頬張り、食べ終えると仰向けに寝転がって休む。 少しだけ離れたところにあるグラウンドの方角からは時々マイクの調整音や、実行委員の出す指示か何かの大きな肉声が、ゆるやかな風にのって漂って来る。

 プログラムの初日が概ねで終了し(正確には『綱引き』の決勝戦が日没で順延となっていた)、大会関係者らはそれぞれの宿泊先へ向けて歩いている。 競技中に軽い捻挫を負って仲間に背負われている者が一名いるが、どちらも笑顔で会話しながら短い道のりを進んでゆく。 話題は明日の最後に予定される男女混合リレーの代走選手についてであり、負傷した彼はそのアンカーに選任されていたのだ。 宿に着くまでの間、その話題は周囲を巻き込んで尽きることが無かった。 中学と高校を陸上部で活動してきた女性職員の名前も挙げられている。 ただ、その会話の中で交わされているほんの些細な何かに対して、私はしっくりといかないような気がし始めていた。 周囲の誰しもが、そんなことには捕らわれていないようであり、私だけが少し置いていかれているような気分にもなっていた。

 食事の前にはみな連れ立って大浴場で入浴した。 一度に三十人は入れそうな浴槽に浸かりながら、近くに居合わせた各々でそれぞれ談笑し合っていた。 私は体を洗いながらそんな会話を聞くともなく聞いていたり、時々そちらの方へ目線を向けることもあった。 そんな時に、浴槽に浸かりながら通所仲間らと談笑する女性職員の存在に、突然気付かされた。 確かに会話の中では時々『へぇー』などと彼女の声(?)で相槌が聞こえていたのだが、そのおかしさに捕らわれることが不思議と無かったのだ。 立ち上がる湯気越しに彼女を目にして始めて、その存在がこうして私に訴え掛けて来ている。 洗い場を片付け、私は丁寧に湯を浴びてから脱衣所へ引き上げた。 浴槽へ移動しつつその会話の中へと溶け込んでゆくことは、私にとっての不自然さそのものであるように感じられたからだ。

 翌朝。 少し早めの朝食を各々で済ませ、身支度を整えた面々がロビーに集合して来る。 みな運動着姿でそれぞれにくつろいでいる。 ロビーには、小さなコンビニと言っても差し支えない規模の売店が併設されている。 土産物を物色する一般のお客に交じって通所仲間の姿も見える。 まだ昼過ぎまでの間に競技と閉会式、後片付けの雑用などが残っているのだが、それほど切迫した雰囲気でもないのだと感じられて安堵する。 前日の快晴とは異なり少し雲が広がりつつある。 それでもまだ時々は陽射しも感じられていた。 夕方の頃から山沿いでは雨の予報らしい。 その予報どおりなら大会の開催中はまず大丈夫なのだろう。

 私は独りで悶々としたままだった。 昨夜から、朝のこの時間までをそのように過ごしている。 他者へ訊くなどして、手っ取り早く解決へ向けて踏み出すことをどこかではばかり続けている。 それが私の弱さなのだ。 その水面下では膨大な量の精神エネルギーを浪費してもいる。 そんな風にしていて良い事柄は、いつの時にも皆無だった。 いつでも、少し時間が経過してからは・・・ その時々を振り返るにつけ、やるせなく残念な思いを繰り返して来た。 しかしそれらが展開中である臨機には、そこから自発的、意識的に離れることが出来なかった。 そして今もまさにその通りなのだ。 賭けてもいい。 今日この場に居合わせた面々の中で、最も消耗が激しいのは、この私だろうと。 そしてそのことを外側へと表明できないでいる間には、さらに消耗をし続けてゆくのだろう。

 どこから来たのか三、四歳くらいの男の子が私の履いているジャージを掴んで立っていた。 色白で坊主頭、健康的な普通の子供に見られる体型だが、少し小柄なのだろうか。 屋内とはいえ、十月半ばの山間いでTシャツに短パン姿だった。 私はしゃがみ込んで目の高さを彼に合わせ、『おはよう、ずい分と早いね』と声を掛けてみた。 そんな風にして間近に見る彼の顔立ちには、何か見覚えを感じられていた。 職員の誰かが家族でも同伴していたのだろうか。 そんな話は聞いていないし、公私混同と言われて差し支えないような行動を彼らがとるのは、かなりおかしな話だった。 やがて感じ始める。 彼は昨夕、男湯に浸かりながら通所仲間たちと談笑していた、その女性職員にどこかで似ていた。

 その時とっさに解る。──少なくともそう感じられている。── この男の子に訊けば判るのだと。 夕べ目の当たりにしたように、彼女はなぜ男湯などに入って通所仲間らと談笑するといったことが出来るのかを。 その全てをこの男の子は知っているのだ。 知っているというよりも、これから彼は成長してゆく中で自ら経験してゆくことになるはずだ。 そして今、私が日々通う通所先でいつも普通に接している彼女へと、心身ともに変貌を遂げてゆくのだろう。 そうか、それだけ解ればいい。 悶々と神経を擦り減らし続けていた暗闇から出られると同時に、この男の子と一緒にいられる潮時も来たようだ。

 私は立ち上がり、彼の手を引いて歩き始める。 売店の中には少し前からその姿が見えていた。 彼の両親であるらしいご夫婦と、一緒に連れられている二人の女の子たち。 しかし男の子の手を引きながらも私の歩調は次第に鈍くなる。 私は、売店の中の彼らに向けて一体どんな挨拶を切り出すべきなのだろう。 そう考える間にも売店は永久に近付いて来ている。 私は立ち止まるわけにはいかないのだ。