【散文気分】 - 2016/9/21 Wed -


おはようございます。
今朝は前置き無しでお話を始めますが、前回の更新から4週間近く空いておりましたか。 特に何もありませんでしたし、ご心配戴くようなことももちろんありません。

昨日の昼休み。いわゆる不良まんが(?)について熱く語る仲間がいました。 暴走系、格闘系、音楽系、生き様そのもの系、他にもあったのかもしれませんが。 何しろ着いて行くので精一杯(※彼も暴走中かと)であり、今ここでサラっと出てくる気配は感じられません。

ワル …ですか。 どのワルたちも、他者や社会から”悪いこと”として受け止められるような行動をとったり、 言動を発したり、それらをたしなめられて容易に姿勢を正したりなどせぬ点では、確かに共通しているかのようです。 ワルなのですな。

ところで無頼なのでした。 今さら私ごときが語るまでも、皆さまに同意を求めるまでもなく厳密な、100%純粋な真性の無頼などあり得ません。 なのでと申しますか、あたかも無頼であるかのような人・物事・社会・国家・人類・宇宙などについて考えてみます。

やっぱ”人”だけに絞ります。 安心しましたか? 私もです。 アブナイところでした。

先の仲間が熱弁振るうのを聞く間に勝手なことを考え始めておりました。武蔵もワルと言われながら成長していったのだよなぁ… と。 本位田のお婆からは”悪蔵”呼ばわりされていたし。かと言って、印象の繋がりはあくまでもワルなのでありまして。 念のために武蔵の生き様を振り返ってもみたのですが確かに、間違いなく武蔵は無頼なんかじゃありませんでした。 安心しました。 なぜならば。

無頼漢が何かの都合で無意識(不本意)ながらも人を魅き寄せたとして、その人が真の無頼であることがどんなことであるかが解った時点で、 恐らくは無頼に対して執着してはいられなくなるものと想像するからです。 しかも魅き寄せられてしまった時点で既成事実的に無頼とは 無縁であったという、屈辱的なお土産付きの惨敗です。

要するに青年・武蔵は一見して孤独なようであっても、人に限らずそれはもう様々なリレーション・シップの中で生きていました。 森、川、山、空… そして例の洞窟の中と。 そういった人のことを普通に『想像力が豊かだ』などと世間は評するのでしょうか。 そもそも想像力など人によってそうは違わないチカラだとも思うのですが。 ひとたび(〜いくたび)想像した、その先の違いなのではないかとも。

さて。 無頼でした。 ツマラナイ話をすれば辞書に載っている言葉です。 ので、ちゃんと意味が簡潔に記されていることでしょう。 言葉の持つ特性(宿命)に倣って時代とともに多少の変化なども感じられますようで。 1.─── 2.─── そのような書き方をつい先ほど見て来たばかりです。

無頼とはコンセプトであってシンボルとはなり得ない宿命なのですね。なんだか気付いてしまいました。 神に対する悪魔とはその辺が明らかに異なるようです。 無頼漢は非・無頼漢(普通の人々)と関係をもった時点で無頼ではなくなる。 そもそもこの世に生を受けること自体が既に無頼の定義に反するワケでもあります。 イエスやブッダが誰から生まれなどと敢えて取り沙汰すまでもありません。 二人の存在の特異性を例に持ち出したかっただけです。 無頼漢の”存在”が、いかに特異であるかを比較説明するために。

こんなこと、どんな辞書にも書かれていない(書かれるわけがない)と思います。 なぜならば、言葉はあるのに”無頼なんてナイ”みたいな禅問答を辞書は嫌いますし、辞書を引いた人が『 ・ ・ ・ 引かなきゃ良かった。』と落胆するだけだからです。


P.S. もしかしたら哲学関連の本の中には見つかるのかもしれません。 変わった学問ですよね。

P.S.2 rainy-blue in the morning 22.Sep.2016
 少しだけ補足することにしました。 ん〜大体40ヤードぐらいでしょうか。 違いましたか。 そうでぃすか。

 辞書からは消え失せる運命にあった無頼が今もこうして生き残れたのは、シンボリックな解釈の出現と
 歪曲頒布に救われてのことであり、そもそもの意味は既に損なわれた状態であると言えましょう。
 媒体は紙や書籍などではなく、我々の魂です。辞書はそれらを二番煎じしたに過ぎませぬ。へい。

 従いまして。そのような説明で『・・・???』となったとしても当然と言えば当然でして。むしろ簡単に
 ご納得されてしまうことに対しては少々遺憾でありまする。もっと寛容に在りたいモノです。いやはや…





19.Sep.2016  自宅にて。


知ってましたか? 百均で書道の道具が一式、ちゃ〜んと揃っちゃうんですょ(汗

なにもこのネタのために揃えたワケぢゃありませぬ。 しかもネタちゃうし。 結構な以前から何となく感じて来たことでして。 思い立った好きなとき自由に毛筆で書けたらいいだろうなぁと。 たまにお邪魔する古民家飯屋で時々書かせてもらったりしているウチに。

酒が飲みたくなくなるホルモンが分泌され… などと解釈せんで下さい。たのんます。

この私めが。酒を飲まずしてホルモン焼き屋を楽しめるのか否か? そんな疑いを抱きつつ。 いざ出掛ける前に、そんな動揺を落ち着かせるために書まで残し、行って来ましたょ。 で。

アリですな。素直にラッキーでした。安上がりだし。白飯が欲しくならなかったのが意外でした。そいつぁ〜たまたまか。 小一時間ほど前に日高屋で『野菜たっぷりタンメン・麺小盛』とか食してましたから。それスッキリと忘れてたんですょ。えぇ。

蛇足ながらも。
タンメンを食す場合には個人的に若干のしきたりがありまする。まずは上モノを徹底的にやっつける。 ほぼ全滅する頃にはスープの中で麺が固まっていたりもしやすので、よ〜く かくはんしますだ。 ほぐれたら麺もやっつける。体調と直近の食事状況に相談してからスープに本気で取り掛かる。 うぅぅん… さてぃすふぁい。もぅ数十年来でこんな感じっすゎ。 にょろり。

さらに蛇足ながらも。
質素な昔風ラーメンなんかだと、これらの手順がほぼ逆転しますだ。 にょろ にょろり。

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解説のコーナー

今回記述した無頼について『なぜ取り上げたの?』と訊かれれば。 ごもっともな質問です。

きっと世に蔓延する(と思われる) ”スタイル・クール”の醸し出す無頼風味に対して、どこか不快感を覚えてしまうからなのでしょう。

若さ、地位、年長、慢心、都合、徹底、窮地、昂揚、落胆、快感 などなど。 様々な面で見受けられるようですが、共通していると思われるのは …慢心もそうですが、むしろ保身の方に重きが置かれているのではないかと。かように考察する次第です。

そうした意味合いでは自然界の生き物に見られる擬態と似たような印象を受けます。 もしも正体がバレたらマズぃですよねぇ… 生き物ならば食われちゃいますから。えぇ。

そのような都合も手伝いまして。 例えばアウェイ的なシチュエーションで関わる人々(見ず知らずの通行人、コンビニ店員、バス運転手、ハローワークの窓口担当、友達の中学時代の友達、妻の幼なじみ、息子の担任教師、爺ちゃんのデイサービス先の事務員、プール監視員、…キリがないので打切りますょ) に対して感じ取ってしまうことが多く思えるのは、正体がバレにくいからに他なりません。

それが守られていたり、約束されていたり。知ってか知らずか、はたまた予定調和なのか。
しかし、それもまた自然なり …と。 不快を覚えつつ肯定的に捉えるのは重労働で疲れます。

よって効果的な気分転換が必要となるワケです。 こんな感じで、お察し戴けましたでしょうか。

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なので真性クールの弁護なども少々。 ハッキリ言って無防備です。もっと言えばボケですから。

…しまった。ちっとも弁護になってやしない。 あっ!そーだ。ギャップですょ、ギャップ。何しろ真性ですから攻撃すれば見事にヤリ返されちまいます。 なのに無防備でボケ。そんなギャップに対して、乙女心はゆらゆらと揺れ動き、青年はアツくなるワケです。 真似たくなるのもムリはナイ。

わかりましたかぁ?     …ふぅ。   アブナイとこだった(と、額の汗を拭う)。
                                    ↓
わかりましたかぁ?     …ふぅ。   アブナイとこだった(汗

う〜〜〜ん、いわゆる一つの、サービス・スピリットですか。 にょろりでしたか? ザンネンだなぁ。
ぢゃあ49分17秒ぐらいから始まる第4楽章でも聴きながら昼寝しときますだ。 オヤスミなさい…
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