【散文気分】 - 2016/3/26 Sat -

己の中に。 それまでには感じられなかった人格のような、性格のような。 なんとも例えようが(少なくともその当時には)見つからなかったものを感じ始めて、不安に揺れ動いていたのは。 もはや遡ること17年くらい前なのだと振り返ります。

当時のそんな不安と、そして自分なりにとった それらへの対処行動を表す、そのような記憶のひとつがあります。

春のある休日の昼前ごろ。 思い余って母方の叔母に、(生前の)母を代理して時節の挨拶を理由に電話しました。 もちろん目的は挨拶ではありませんでしたから、私の実家の家族(父と母)に聞かれては不都合などもありました。

別居生活を始める前後であったと思うのですが、もはや確かめる術がありません。 確かなのは、既に交際相手が私には存在していたことと、そのような相手に夢中になっていた時だったと、いうことでしょうか。

叔母への相談内容は三つありました。 妻との別れを意識していること。 新しい交際相手が存在すること。 そして、その時の自分を… 状況主体ではなく、冒頭に記述したなんとも例えようのない事柄について、受け入れきれないでいることでした。 こんなのは自分の知っている、少なくとも それまでに経験して来た自分ではないハズだと、訴えていたのをハッキリと覚えています。

そうした境遇に至るまでの経緯と、その自己観察結果について。 出来るだけ丁寧に説明を試みていたと思います。 その電話は かなり長いものとなりました。

今ではそんな因果関係についてとても重要であった事柄が解っていますが、当時の自分はそうした何の知識も持たぬままに、少なくとも自己観察から感じ取っていたものと考えます。 今さらながら思うに、その矛先が適切な状況に恵まれることは無くとも、冷静であったのだなと感じます。 しかし不思議な行動力と思考力、もてあまし気味の自分が、それらの冷静さに甘んじること無く、どんどん先へと突き進んでゆくのも同時に感じ取っていました。 ただし、それらは同時的にせめぎ合う種類のものではなく、ある種の波のようなカタチを取って断続的に交互に、自分の中に現れていたように思います。 それら時系列における関係性において 意識や記憶の断裂は無く、すべてが連続して明確に繋がっていました。 いわゆる二重人格とは その辺りで異なるのだろう、との認識です。

今日綴ってきたお話は、当初この程度の長さで締めくくる想定でした。
あることを決意した現在の心をカタチに残しておくだけの目的でした。 しかし、それらについて当初の目論見どおり簡潔に述べるのは己に対しても他者に対しても、誠実さに欠けてしまう可能性を感じています。

その最後まで至る続編がすんなりと続くのかどうかは、少なくとも今の段階では表明できません。 それはある意味で意地でもあり、ある意味で真実に到達したいとの野心からでもありましょうか。 要するに現時点では明らかに出来ぬ要素を含んでいるのだとも言えましょう。 ヒトは自分に嘘はつけないというのは、嘘だと考えます。 ただし自分に嘘をつきたくない時には つけぬものなのだと、そう信じている者の一人です。

では。 この続きは、またいずれ…
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