【散文気分】 ─── 二○十四年十○月二十七日(月) ───     日直(柳家小三治)

 一九七五年の春。新学期に合わせて私の家族はそれまで借家住まいしていた座間市南部から綾瀬市(当時は高座郡綾瀬町)南部にある父の会社の社宅へと引越し、それと同時に私は初めての転校を経験しました。学級は二年三組。担任は吉田さち子先生(仮名)です。

 土曜の午後、長後にあった先生の自宅アパートへ友人らと誘い合って遊びに行ったことが何度かあります。ある時には先生の友達だと紹介されたテニス仲間の女性も加わり、訪ねて行った生徒らに手製のおやつを作ってくれたりもしました。せまいアパートの部屋はとても賑やかでした。
 そんな作業の途中で何かの材料でも不足したのでしょうか。私は先生から買い物を頼まれ、先生のお財布からお札を一枚手渡されて近所の商店へと一人で出向きました。何かの加減で自分の手から何ともいい香りが感じ取れることに気付いたのは、そんなお遣いの途中だったのかもしれません。きっとテニスクラブの練習あとで先生が使ったコロンの香りが移ってきたのでしょう。

 バレンタインの前には先生がクラスの中に二つあった草野球チームの対決を持ちかけて、勝者には旬なチョコを。敗者には(残念、次ガンバレ!)ガムの振る舞いが約束されていました。その結果、私はチョコを貰いました。クラスの女子もその時だけは興味半分に試合を見に来ていて、張り切りました。

 掛け算九九の検定ではクラスで最初に認定証を貰───いえ、一箇所だけとちってしまったため次に一発で決めたあだ名・カミヤチャンにトップの座を譲り渡してしまいました。しかし続けて再度の挑戦で二番手には収まることが出来ました。認定証は手書きのガリ版摺り原稿で色画用紙に印刷されたものでした。持ち帰ってからは机の壁にマグネットで貼り付け、ことあるごとに眺めておりました。

 翌年は三年六組で担任は眼鏡ババァ(福島出身、二十代の乙女。その年度内に元同僚の先生とご結婚なされるも、そのまま教職を続けられた。)でした。吉田先生は四組の担任となってしまい、とても残念でした。しかし四年生があります。
 ある日の放課後に吉田先生のクラスが校庭でソフトボールをしているのを遊具の端からぽつんと独りで眺めていると、先生が私に気が付いて四組の生徒らに呼びかけてくれるのです。
『ねーみんな、散文気分くんも一緒に入っていいよね?』そして予想通りの反応は、
『えーっ!』『やだー!』『別のクラスじゃん』『散文気分すっげー打つんだもん』
 そのような罵声を浴びて居たたまれなくなり、とぼとぼ家に帰りました。

 しかし四年生があります。四年三組の新学期、最初の朝礼前には学年で一番怖い九州男児先生(鹿児島出身)が担任だと判明し、再びの無念を味わいました。でも五年生があります。そして吉田先生は何組かと探せばどのクラスにも見当たりません。すると校長先生に付き添われて朝礼台の上に現れました。いつもはジャージなのに小ギレイなスーツ姿です。でもなかなかにいい感じだなぁ。などと見つめていました。すると校長先生が『───まして、このたび吉田先生はご結婚が決まり故郷の宮崎へ戻られることに───ことに───とに───

 私はそのまま卒倒してしまいました。担任の九州男児先生から抱きかかえられて保健室へ運ばれたそうです。気付いた時にはベッドに寝かされていて、保健室の天井を見つめておりました。偶然にも単なる貧血を起こしていたのだそうです。人騒がせな児童です。保健の先生からは『朝ごはん、ちゃんと食べてきたの?』などと尋問され、黙って首を横に振るのでした。

 間もなく体調も回復して保健の先生に付き添われ、その春に学校を離れる先生方を校門までお見送りする行列の先頭付近(他の学年の列)に紛れ込みました。しばらくして花束を抱えた吉田先生が私を見つけてかがみ込み、両手で握手を求めてきてくれました。大勢の生徒らの声が響く喧騒の中でも一瞬、そこだけは時間が止まっていた───そんな感覚だったでしょうか。

 今さらながらに思います。私がひっくり返ってその周囲が騒然とし、九州男児先生に抱きかかえられて校舎内へと消えゆくその様子を、吉田先生は朝礼台の上から見守ってくれていたに違いないのです。
 先生、ご心配をお掛けしてすみませんでした。

 今でもこのしょっぱい想い出をオカズに、ご飯三杯は軽く食べられます。
 きっと宮崎でいいおばあちゃん生活を送っておられることでしょう。───私はこんな感じですが。



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本日のあとがきは筆者に代わり編集部の安田が担当させて戴きます。 ご了承ください。
本文の第一稿に差し当たり、これらをフィクションとするかノンフィクションとするかを長時間の打ち合わせで煮詰めていった結果、ノンフィクション(筆者の実体験)でいくことに決定しました。

そしてあがった第一稿の校正作業に入りました。 筆者には余分な脚色部分を外すよう促し尚かつ、必要最少限を意図する補填部分については時間をかけて何度も書き直しを要求してまいりました。

しかし最後の2行については残す、削る、あとがきに含める…などで相当に揉めました。 最終的には筆者のわがまま(意思)を半ば尊重するカタチで、尚かつ従来からある散文気分の持ち味として本文を締めくくっております。
                                                            (編集部・安田)

              27.Oct.2014  寒川町・旭が丘中学校近くの焼き鳥屋さんにて


…あ。 どうもこんにちは。 たかだか筆者です。ハイ。 なんか安田が難儀してましたが構わずまいりましょう。

田んぼと畑の中にポツンとある焼き鳥屋さんで初めてオーダーしてみました。 豚メインだそうな。 親父さまへの土産にハラミ×2、シロ、カシラで計4本。 残念ながらこの日レバーは入荷なし。 元々(約30年前)は移動販売の走りだったそうで 的屋さんからも見学に来たとか。 以来、居酒屋として営業していた経緯もあり、現在では店頭で焼いて販売するのみだとご主人は申しておられますただ。  …写真↑は、そのような待ち時間っすね。

ヤっさんにも言われちゃったけど、わがまま・・・かぁ。   なんだか妙な繋がり(?笑)を感じまする。

やはり含み笑いはキモぃですな。 ムカつきますな。 いや失礼を。
(?笑)の理由はGoogle Street Viewを駆使して画像↑の地域をうろつくと解決でけますだ。ヘイ。 旨かったす