【散文気分】 - 2013/2/14 Thu -



   ねばならない

このような私にも、「ねばならない教」 の信者であった時期がありました。
それは20代後半から30代の初め くらいまでであったのかなと振り返ります。 どうやら教祖たる人物もいたようです。 しかしカルト教団に入信 したのでもなければ、普通に会社勤めのサラリーマンでしたから、そのありふれた日常において ジワリ、ジワリ… と 蝕まれていたのでしょう。 結論から言ってしまえば誰のせいでも、ある特定集団のせいでも、社会システムの せいでも、そして自分自身の非と片付けられることでもなかったのだと考えております。 今では。 その代償 という表現が相応しいのかどうなのか、少々の判別には困りますが、とても大きいものでした。 その詳細な ”いきさつ”については、実はコチラの別ユニットにおきまして遡ること ちょうど1年前から進行中なのですが、 牛歩戦術よりもさらに遅々として進みません。 要するに己の心の中で片が付いていない部分などがまだまだ あるのだろうと想像しております。 よって採った体裁としては見切り発進に過ぎないのだと考えました。  それも仕方がないのかと。 全てがなんとなくスッキリとする段階まで大事に持っていたとして、その過去の 経過の中に占めていた ありのままのエッセンスのような事柄などは、逆に薄れていってしまうようにも感じ られました。 それらを損失として捉えるかどうかといった価値判断は確かにありました。 そして 作業事後への期待は持たずに、ただ少しずつカタチにしていってみようといった取り組みで始めたのだと 思います。 しかし現時点では、その全体像が見えてくるまでに あと何年かかるのかは想像がつきませんし、 いつ頓挫するのかも判りません。 ある時点では続ける必然自体が無くなってしまうのかもしれません。  そして消去せずに残したカタチあるモノは、墓標となるのか、記念碑となるのか、そのものに意味は無くとも 先々で何か二次的なメッセージを自らに発信する可能性を包括するのか。 気負わずにそう考えて続けることに おいて、そう悪い気はしないものです。

   仕事

「仕事って、ナニ?」 …と、 最後にそう考えたのはいつ頃のことでしょうか。
私はそう考えることが今でも、比較的に度々あるのだと自覚しております。 そして過去を振り返ればその全て ではありませんが、他者からそう訊かれても明確な答え方は出来なかったのではないかと思います。 たとえ答えていたのだとしても、その時点で 思いつきの自論を好きなように述べられるラフな場であったのかと想像します。 果たしてどのくらい前から なのかは思い出せませんが、いつの頃からか全く反対の立場を想定した疑問も併せ持つようになって きております。 少なくともその姿を外側から見て感じる者として、そのような命題に振り回されることはなく、 あたかも淡々と仕事に従事しているかのように見受けられる人々に対してそう思うのです。 中には仕事が何なのかが解らずに 仕事に就く者とは付き合いきれないといった態度と発言で示す人もいます。 そのような場合にそうした 命題について掘り下げた話し合いにまではあまりなり得ないのかもしれません。 そして婉曲的に迷惑だと 言われていることを汲み取る必要のある場合もありますでしょう。 それでは、仕事ととは 一体何であるかに疑問なり意識の目などをあまり向けることの無い人々と、そうではない人とは仕事の場を共有 すべきではないのでしょうか。 人材の採用や育成面では、そうした”仕事感性”に長けた者だけが残るように 取り組まれるべきなのでしょうか。 では、人は仕事についての、少なくとも社会通念上における共通観念を、 一体いつ身に着けるべきなのでしょうか。 また、そうした”仕事感性”が未発達な者に対する救済措置の ような事柄は、この現代社会においてはどういった仕組みが存在して、機能しているのでしょうか。 それは 学校教育の中に明確な形をもって盛り込まれているような事柄なのでしょうか。 それとも、それらは 暗黙の了解事項としてあくまでも個人の自主性に委ねられているような事柄なのでしょうか。

   言葉はひとり歩きしない

言葉のひとり歩きと言います。 どのような局面でそう言われるのでしょうか。
人の口から吐かれた言葉は、その言葉についてそれまでにどのようないきさつがあったにせよ、それを聞く立場 の者が受け取るのであれば、直接的には言葉を発した者によるのでしょう。 それこそがその場での意味に おいて重要なのだと想像するからです。 人が書き記した言葉であれば、それを読むことを要求した人物なりの 思惑が介在する場合もあるのでしょうが、もちろん自らの自発的な取り組みである場合もあるのでしょう。  そしてメディアを通じて好むと好まざるとに関わらず日々流れ続ける事柄の中にも様々な言葉があります。  そのように大雑把な例を取り上げただけで進めてしまうのも乱暴なのかもしれません。 そうした中で、 その言葉を発した元祖である必然はあるのでしょうか。 言葉はその受け手に対して発せられ、その受け手に どう捉えられるかが決めてなのかと考えます。 発した者にとっては残念な結果もあるのでしょうし、受け手の 受け取り方とその後の行動次第では、果たしてどうなることなのでしょうか。 そうした責任の所在を明確に しようなどと思えば、言葉を発した者と受け取る者のどちらかに両分されるのでしょうか。 受け取った側の 行動に委ねるのならば、発した者にとってはその相手に結果を預けてしまうという責任が残るとでも言うので しょうか。 受け手はいつも自らが受ける言葉の解釈を、その後の行動をもって成果発表する立場にあるのでしょうか。 そもそも、 その言葉はその人から発せられる必然はあったのでしょうか。 誰からでも、何からでも、どのような境遇でも 構わなかったのでしょうか。 まだ解らない事柄があるにも関わらず、何かしらの現象面を仕方なく説明しなければ ならない事情において、半ば好都合的に用いられるのが 「言葉のひとり歩き」 であるように思えてなりません。

以上のように、たまたま気になった ”二つ” の言葉について考えてみました。 二つです。
どうやらそれらの言葉そのものに疑問を向けてみて、そして他者からの意見をも参考にして順当に思考を先へと進められるような事柄 ではないように感じています。 高々感じていると言うに甘んじていることを自覚しているつもりです。  そして言葉とその発信源の間に敷かれた密接な繋がりのようなものが、少なくとも受け手にとっては無視できない 関係性を持つのではないかと感じています。 第三機関を設定する多くの物事にまつわる事情を顧みて、そうしたことを懸念 してのことなのだろうかとも想像します。 しかしそれは当時者間にとっての他者に対してのみ希求されるべき目線 でもないのだと考えます。 すなわち自己の客観視とでも言ってしまえば簡単なたとえなのかもしれません。 私はそれ を謙虚さと考えて生きてきた者の一人であると思っていますし、その心は常に変わりゆくものとの感覚を持ちながら、 おこがましくも自我の外側に向けることの出来得る寛容さをも合わせて追求してゆきたいと望んでいます。 よって いま、 そして今後を自分一人で生き抜いてゆく心には毛頭ありません。 なので・・・     どなたかチョコください。









at 13.Feb.2013  easy walking

ヒトに話す時にはドブ川とか排水溝みたいな例え方をついついしてしまうのですが、実は一色川といいます。  名前は女優さんみたいにキレイでしょう。 葛原という地区を源に発して菖蒲沢を抜けて自宅付近を流れて から引地川へと合流します。

その一色川が引地川へ注ぎ込む少し手前に小さな桜並木があります。 ここらは膨らむのが早いなと感じて マークしておりました。


丸山谷戸を横切る細道から、引地川を越えた対岸を眺めます。 ちょうど佐波神社(さばじんじゃ)の辺り です。

…でぇ、 やはり出ました。 えぇ、妖怪「めむろ」ですょ。 しかし風が強くて”はやし声”の内容がよく聞き 取れなかったのです。 おかげで助かりました。
佐波神社 対岸の森にも出張して来るのですなぁ。

谷戸の両脇には細い沢が流れております。


コレは花粉の写真です。
せめてスギとでも言うべきなのでしょうか。
今年は飛散量が多いだろうと脅されて久しいのですが、現在鼻風邪をひいておりまして、一体どちらの症状 なのかが判別つきませぬ。 困ったものです。

そのスギが取り囲んでいるのは谷戸に建てられた援農クラブの作業小屋です。
田んぼには”復元田”の立て札があります。


谷戸を囲む森を突き抜けて登ってゆきます。
5時過ぎまで日が当たり続けるようになってきました。

風に竹林がざわめいていて、時折りカコン、カンカン… と竹同士がぶつかり合う音が響いてきました。 この先 には数軒の農家が果樹園や牛舎を抱えています。

先週のことを思い出しました。
そんな農家や耕作地帯を抜けてゆくとやがて住宅地へ出るのですが、その辺りで上空を小型の猛禽が飛び去って ゆく姿を初めて見ました。 最初はハトかと思いましたが、胴体がスマートで滑空時に広げた羽がシャープなのです。  ヨタカには時間帯が早いし上空過ぎる、アジサシなどの海鳥とするには少々内陸部に入り込み過ぎている。  ならば… と考えて想像するに、”ツミ”がクサイ線ですなぁ。 先月の散歩中に出会った方からその目撃談を 聞かされておりましたし。


  崖線上の耕作地帯を行きます。

コンビニに立ち寄ったりしているウチに日は落ち切っておりました。


振り返った畑には まだ玉の出来ていない春キャベツが整然と並んでおりました。

このあとは緑の丸いガスタンクの真横を通って大庭神社を目指しました。


  いい富士なのでしょうか。 いえ、 いい大山なのですょ。
なぜ県央ではアレ程までに大山が際立つのでしょうか。

綾瀬市の北部、座間市南部から相模原市に至っては、富士山の面影も薄いどころか見えなかったりもします。  前座たる大山にはばかられて。 けれども、充分に立派な出で立ちなのですょ。 大山。 高々… いえ、 何でもありません。 実際にそこいらで見て戴ければ、お察し戴けるのかなぁ…と(汗

まぁその、 リンガーハットで ちゃんぽん でも食いながら、飲んで語らいませんか? いいじゃないっすか。

…こないだ熱海の帰りに数年振りで立ち寄ってみたら、イカゲソもアサリもピンクの蒲鉾も入ってなかったんすょ。 方針変更 したのでしょうか。 けど、ちゃんぽんでしょ。 どんな合理化だかワカランチンですけど、そんなのは 理解しかねまする。 あろうことか、麺が太めのラーメン?みたいな感じですた。 た〜またま、そーゆー変な キャンペーンを実施中だったのでしょうか。 ひょっこりと訪れた己の間の悪さを呪うべきなのでせうか(怨

3年後にまた。 何とか立ち直ってください…

 


この前後4枚は大庭神社に隣接する高台の公園(?)から眺めた光景です。 ココには初めて至りました。

善行側の細い車道から入ってくることが出来るのを、背後からヒトが現れたことで知りました。 私は一度楽器 工房の横を下って神社の鳥居前まで出て、わざわざ木の階段を登ってたどり着いておりました。

今度はもっと朝早くに訪れてみようと思いました。


高台から木の階段を降りてきました。 少々ぬかるんだトコで一度スベって片手を地面に着きましたが、尻餅事故 には至らずに済みました。 片手に持っていたお酒もこぼれずに無事でした。 ツイてますなぁ。

金属楽器の工房は静かでした。
寒いから扉を閉じていたのでしょうか。 何かの作業をヤってる気配は感じましたが、この間のような音色は 聞こえてきませんでした。 でも、 また行ってみたいと思います。 何しろアレは良かったのでして…


  崖線の森の中を下る神社の参道階段を降りて、街灯の明るい親水公園は避けて細い一般道をゆきました。  その横には公園内の湿性植物園なる池がしばらく続きます。 ”逆さ月” に気付いて池の端まで降りてみました。

少し遅くなったうえに まだ自宅までは歩いて30分近くかかるので、まずは親父さまに電話でそう告げまして、 途中から仕方なく親水公園内を突き抜けて近道しました。

そんな折の”鉄塔サンドイッチ”ですな。
…いやいや、命名は挟む具材が決め手となるのでしょうから、 ココは ”ハーフムーン・サンド” としておくべきなのでしょうか。 どうでもいい話題でスンマセン。

タイムスタンプから振り返れば、ちょうど30分の寄り道だったのですなぁ…




チョコ、戴きますただ。 アリガタイことです。
あたかも森高千里みたいな、ホルモン焼き屋さんの おかみさんから貰いますた。 お会計の際に いつもの ロッテ・グリーン・ガムに付け添えて、「今日はバレンタインですね…」 って感じで戴きますた。 しかも不二家 ハート・チョコでした。 いや〜 達郎が喜びそうなネタですねぇ。
喜びませんか。 そうですか。 喜んだらいいのに。 ってか、喜んどきなさいょ。 今日ぐらい。





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