【散文気分】 - 2013/2/11 Mon -



こんばんは。
まことに簡単ではありますが、このように過ごしてまいりました。
お楽しみ戴ければ良いのですが。









at 10.Feb.2013  to Atami

熱海の友人宅へ向けて、予定よりも30分ほど遅れて藤沢駅にたどり着きました。
しかし ホームの辻堂寄りに ”フライパン男・撮影会” の参加希望者らしき人物は見当たらず。  もしや こっそりと隠れて狙われていたのかもしれませんが。 仕方がないので 80系・湘南電車を模したKIOSK でEBISU・350ml缶を購入して、12:29発の熱海行き電車に乗り込みました。
けれども思いのほか車内は混雑しておりました。 やはり休日の車中移動&缶ビールくらいは窓際に座って ゆっくりと飲みたいものであるなぁ… などと思い直したので ありました。



次の辻堂駅では一旦下車してからグリーン車の2階席へと移動しました。 熱海まで千円の追加投資です。  乗車率は大体70%くらいでしたでしょうか。 グリーン券は乗車前に購入すれば割安でして、土日祝祭日には
さらにお安くなる設定も敷かれておりまする。

フライパンはビニール袋を三重に被せたのでニオイはなんとか大丈夫なようでした。 ただしですねぇ、何かの 拍子に上から圧力をかけたりしますと、もう途端に
 ばっふぅぅぅ〜ん…
と、猛烈な臭気を放ちます。 ある種の危険物には間違いないようでした。  例えるならば あの有名な、腐海を覆い尽くす植物並みといった感じでしょうか。 防護マスクが無けりゃあ、 ものの1分で鼻を腐らせるという…

あ、 中身は早起きして仕込んで焼いた餃子ですょ。



10数年前の記憶を頼りに、熱海駅から自力で歩いて友人宅を目指したのですが、ものの見事に迷いました。  違う急坂道を2本ほど往復してしまい、天気も良いので汗だくになりました。 微妙にフライパンもこたえます。

仕方なく友人に電話すると近くまでは来ておりました。 そして一度は誤りと勘違いして引き返していた坂道の 中腹にありました。 いやはや…

← その家の裏手は以前のように空き地のままでした。
なかなかに好ましい感じですな。

この周囲は別荘地なのでして そこそこに密集しておりまする。 かつて私が勤めていた某・大企業の所有する 保養施設もすぐ近所にあります。 一度だけ社内研修会の講師という立場で宿泊したことがありました。
すんげい 贅沢な設備と食事に、仕事で滞在しているのがアホらしく思えました。 みなさん朝食の時にまでビールとか 頼んじゃうし。 オマケに追加発注までしてる。 そのあとで私の講義なんすが、いいけど。 気楽だし。

まだそこを手放していないということは、なんとかヤレているのでしょうか。 ワンマンな社長さんが 大のお気に入りでもあった その保養施設を。 よかったすねぇ…






本当に久々でスッキリと晴れ渡りました。 風も無いし。
コチラのお宅は南南東向きの斜面という立地です。

← 屋根の上あたりに薄っすらと大島が見えております。 そのやや右手は伊豆半島です。






         ↓ ほぼ中央は初島です。

 




コチラのお宅は西側が山なので、日の翳りが早いのが この時季の難点でしょうか。

ただし朝方の景色は凄いですょ。 えぇ。

間違えて日の出なんて見ちゃったら、気の弱い人たち
ならば泣きますょ。   泣きませんか。 そうですか。


右も男の子なのですょ。
去年の春まではこんな長い髪じゃなかったのですが、恐らくは私からの悪影響ではないかと推察します。
影響されたのはもちろん ママさんの方ですね。 ヘイ。

まだ他にも女の子と、男の子がもう一人いました。
この日に集まったのは3家族プラス独り者が私ともう1名ほどいました。 彼は いつもお疲れでして、そして 飲めば即・爆睡なのです。 ただし呼べば適当に応えます。


この後は子供らと庭や坂道で遊んでいたのですが、家の中へ戻ると どうやら外で負傷していたらしく、気付いた 時には左手の親指に絆創膏が巻かれておりました。 恐らくは女の子の手当てであったのかと思われます。

とにかく小さな子供らを巻き込んだ大惨事とならなくて幸いでした。 翌朝に目覚めると 右でん部、左膝、 右すね、右手の平など多数の箇所に 青タン が出来てました。 まだ未確認のモノもあるのかと。 私は一体どのような自損事故を起こしたのか、 不明なままです。

泊まっていけという誘いを振り切っていとまを告げてまいりました。 他人様の家で二日酔いで目覚めるのが 億劫でしたのと、なにも二日間を潰すこともなかろう…などの思いが働きました。

こんなに長い(10〜15両編成)のにガラガラで、なんだか もったいない感じがします。 コレも一種の貧乏性 なのでせうか。 確かに そういった座り方をされている方々をたまに見かけますなぁ。 私は節操無いのが キライなのでヤリませんが。

でも ”吊り革で懸垂” とかはするかもです。
あとは網棚に寝そべって記念に写真を撮って貰ったり。
いやはや、厨房並みですなぁ。

三連休の真ん中でもあり、昼間の熱海駅前は大変な人出でしたが、さすがに この時間帯は静かなのでした。


でもこの辺から都心まで通勤・通学で通っている人たちは結構、いえ普通にいらっしゃいます。
ただし湯河原から通っていた元同僚などは飲むと二次会にも ”出席=泊りがけ” …みたいな感じでした。  終電で無理して帰ると不幸な場合には、早朝の大垣駅で黄昏て ”きしめん” などを立ち食い して、せっかくの休日を半日ほど潰してキリキリ舞い戻ることにも なりかねないのですからねぇ。  いや〜 恐ろしいコトです。 どこかに泊まって大正解ですなぁ…



P.S. at 0:20 12.Feb.2013
西国に暮らす旧友と正月以来で交信しました。
相変わらずアツぃその内容に、腹抱えて笑いながら読み進めておりましただ。

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From: 散文気分@ezweb.ne.jp
  To: 九州地方の友人@softbank.ne.jp
.日付: 2013年2月11日 17:32
.件名: 宮殿並み? とは。

いやぁ、どうも どうも。
物部氏にとっては仇も同然な蘇我馬子ではありますが、
明日香村で大きな発掘ごとがあったようですな。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013020902000236.html

付録の画像は遥か遠くにうっすらと伊豆大島が。
昨日、熱海からの眺めですわぃ。
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From: 九州地方の友人@softbank.ne.jp
  To: 散文気分@ezweb.ne.jp
.日付: 2013年2月11日 22:45
.件名:

我らが通常知ってる歴史でいえば、蘇我稲目から入鹿までの蘇我氏は、天皇を支える大臣であった。 乙巳の変 で入鹿が殺され、蝦夷は自刃。 蘇我一族は凋落していく。 コレらの事は、勝者の中大兄側の鎌足の息子か 孫やったか忘れたが、藤原不比等らが編纂した記紀に書かれてある事である。 蘇我氏は天皇であった。  という話がある。 あれらの建築物は、大王であればこそという最もな証拠かもしれませんな。 蘇我王朝の 前は、我がニギハヤヒの物部王朝があるわけやし、「ヤマトノクニ」は物部王朝の国号であったのだ。  タリシホコは熊本の人で、九州王朝は元々「倭」と呼ばれていた。 「倭」は中華思想からいえば蔑んだ言葉 だったので「 国」(タイコクと読むのであろうか?)となのってたような記述もある。 熊本は肥の国。  そこから日の国。 やがて日本となったのでは? 六世紀後半から七世紀の大化の改新の頃には、九州地方は 日の国。 近畿地方は大和の国。 もちろん宗主国は九州の方で、白村江の戦いを境に政権が大和の方に移る ワケだ。 そして、私が憎んでも憎みきれない売国奴、天智天皇が即位すると。 その後に皇位継承争いの 壬申の乱がおこり、天武天皇の時代からは、かんぺきに九州から大和に都は移る事になる。 この天武天皇の事 を語ると長くなるのでココらでやめます。 ただ天武は九州王朝のラストエンペラーであるとゆー事だけは 言っておこう。
何でこんなに長くなったのだ?
蘇我の宮殿の話じゃなかったのか?

山岸凉子の「日出ずる処の天子」を最近読みました。 俺はアイラブ物部だけど、この話を読んで蘇我も好きに なりましたよ。 この物語もラストは納得いかないので消化不良であります。

そうそう、ここん所 髪の毛が寂しくなってきました。
熱海は別府の様な所? やっぱそこらじゃ鎌倉行きたいなぁ。
それでは!
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