【散文気分】 - 2013/1/27 Sun -



こんばんは。
今日の本文は まだ何も考えておりませぬ。
ちょいと久々にギターを弾いてみたくなりましてぇ、目標設定を「アルハンブラの思い出」と決めたところでありまする。  まぁその、鼻歌ばかりでは寂しい気がしておりまして…(汗
しかしズブの素人でありますゆえ、あの難解な ”なんちゃら奏法” というものに果たして取り付く島がアルの だらうか?と、ずっと躊躇っておりました。

しかし妹の”お下がり”が どうやらフォーク・ギターのようで、それだと厳しいようなのです。 仕方ない ので近所の中学校の音楽室から拝借してこようなどと目論んでおります。 フォーク抱えて若かりし頃の オリビア・ニュートン・ジョンをコピる心境にはなりませんが、ジョージ・マイケルの”Faith”ならばアリで しょうか。 少々コアなところでは岡村靖幸の”19(nineteen)”も良いかもしれません。 まぁそれ自体が ジョージ・マイケルの模倣だと揶揄されておりましたが、ブっ飛び加減では出し抜いておりましたか。 しかし その後、彼は実際にブっ飛んでいて ”お縄” を頂戴しちゃいましたが(汗

  ・・・あ、 ほんの ご参考 までに、どうぞ。



もはや夕方近くまで、親父さまが昼前から散歩に出たまま戻らないので↑の駄文だとか↓の画像などをシコシコと準備 しておりました。 そして階下で物音がする度に降りていって見渡すのですが、別の何かであって、親父さまの 帰宅ではありませんでした。 仕方なく着替えて散歩に出ようとしていたら 帰りに買い物まで済ませた親父さま が玄関から入ってきました。 なので私の手間が一つ省けたワケなのでして、むしろ晴れ晴れとした気分で 夕暮れ散歩に出ることが出来ました。 風も無く快適なものでした。

途中でいつものホルモン焼き屋さんに寄ろうかとも思ったのですが、今週は外出と深酒が続いておりました ので踏みとどまり、引地川沿いの「あおや珈琲店」にしました。 風が無かったので外のデッキ上に設けられた テーブル席に落ち着いて、ご主人に生ビールをお願いしました。 カウンターには二人のお客さんがいて、 外で電話していた青年が その後から加わっておりました。 店内に入ってオーダーを伝えた際に書棚から前回に 気になっていた新潮新書版の「恐山」という本を借りて外へ持ち出して読み始めておりました。 やがてご主人が ビールを注いで柿ピーを添えて運んできてくださったのですが、私の持ってきたその本に気付いて 「オススメです」 と、「私は一気に最後まで読んでしまいました」 とおっしゃるのでした。 なので、前回訪れた時に前後の表紙書きと前書きだけを読んでいて、 どこかで思い出したら見つけて買って読んでみたいと思っていた旨を答えました。 そしてビールと柿ピーに手を 出しながら 第一章の途中までを読み進めておりましたが、周囲にヒトがいないことで油断しており、その内容に 声を上げて笑いながら、ビールと柿ピーも順調に進んでおりました。

やがて とっぷりと日も暮れました。 30分少々を外で過ごしておりましたが、風が無いので寒さから逃れたい といった感覚までには至りませんでした。 さて、適当に歩いて帰るか、少し足りないものを買い足してから 帰るか。 …あ、そうだ。 でも日曜の夕方は意外に忙しそうにしておられるようだから。 でも、何かの 都合で暇そうにしていることもあったからなあと、行くだけ行って見ようと思い直しておりました。  あぁ、目的がまだでしたが、数年来でご担当戴いている美容師さんに”顔つなぎ”のアイサツに行ってみよう などと思いついておったのです。 行動を起こすまでに悶々と考えていた時間は僅かなものでしたが、最初に 止めようとしてから思い直して行くことにしました。 昨年から すっかりと無沙汰を続けてしまっておりました ので、少々の不安を感じていたのです。

特に個人的な関わり合いのうえで特別な間柄ではありませんが、初めてご担当して戴いた時には必然と興味ある 話題を引き出されたりもしましょうか。 私の場合には ”酒談義” に到達してしまうことなどが、まあ極普通 にありますが、そちらの美容師さんも まんざらではなさそうな感触を得ましたので、そのしばらく後からお誘い したことが何度かあったのです。 けれども 毎回とてもお疲れのようでして、いつも大変に気が咎めました。  それでもこのような稚拙なサイトを除き見てくださっていて、たまに感想のメールなどを届けてくださって おりましたし、意外にも写真が好評なので驚いた記憶がありました。

本当はもっと普通に定期定例の美容室通いをして、いつものように楽しく会話を交わしながら 身なりの方もスッキリとさせて 戴きたかったのですが、昨年来でそう出来ない境遇が続いてしまっております。 それに身なりにはおいては どちらかといえば頓着の薄い方であるのかと思いますので、そういった事柄から手薄になり勝ちでもあります。  もはや頭髪には白髪が目立つというか、目も当てられないほどに荒れ果ててしまいました。 いつもキレイに 染め上げて戴いていたのに、どの頭下げて今さら のこのこと出向けましょうか。

先ほど、そのように思いついても最初は踏みとどまったような書き方をしましたが、その理由は明白であり、 余計な(突飛な)行動は慎もうと感じたことに尽きます。 便りの無いのは良い便り… といった解釈も ありましょう。 それに期待することは あながち馬鹿げた思いにも感じられなかったのです。 それに美容師 さんの公私両側面で それぞれに立場を意識したことなどもありましょうから、妙な思いつきで行動することが 想定外の迷惑に繋がってしまうことなどは、私にとっても不本意だったのです。 難しいと申しますか、少なくとも デリケートな部分ではあるのでしょうか。 何も苦痛や困難さを感じることもなくスマートにそうした関係性を 継続されている方々にとっては、一体私が何を表明したいのかが解らずに苛立ちを感じられることと想像して おります。 それは私がある種のハンディーキャップを抱えていることに起因する思いでもあるのでしょうか。

昨年の11月後半あたりから現在までは元気に明るく楽しく暮らせておりましたし、周囲の近しい人達との接し方なども 特別な失敗などで周囲だけではなく自らもが困惑するようなことも無かったのだと思います。 そしてすぐこの 先には そうした毎日とは少し違った印象で、様々な物事や人との関わり合いから いつの間にか考え込んで しまい、やがては ふさぎ込んでいってしまうことが確約された存在、それが私なのでもあります。 もう少し 以前までは そのような事象に対して感じる ”やるせなさ” をとても不快に思っていたものでしたが、近頃では ”ああ、またか…” といった具合に、そのような 「何故?」 と いった問答を自己の内部で展開させることに対しては ためらう心が働くようにも なってきております。 それはある種の経験則 といった捉え方でも説明がつくことでもありましょうし、なによりも一生のことなのだという ”引き受け意識” などが比較的に良い方向へと向かい始めてきているのかとも想像しております。

ただ残念なのは、自らのそうした 解釈は 必ずしも他人の解釈とは一致しないということでしょうか。 当たり前のことが当たり前ではないのが 私の立場なのだとも考えます。 このような側面があれば、まったく印象の異なるこういった側面もあるのだと 説明すると、しばしばそれらを総合した見解から 「バランスはとれているんじゃないの?」 といった感想を 言われます。 しかし問題なのは、私の中にはそうした ”総合的な心” などは微塵も発生してなどはいないことであり、ゆえにコレも アレも私なのだということだけが、私にとっての普遍性を保つことの出来る唯一の、そしてフェアであると思える説明なの です。 例えば、 こうした思いの表明を ”カミングアウト” として捉えられてしまう場合であったならば、それはむしろ私の方から距離 を保った関係性を意識すべき局面であるのかもしれません。 それは自己の尊厳などといった高尚な考え方 などではなく、もっと原始的で生き抜いてゆくことそのものに根差した感覚であるはずだと、今はそう信じて いるからです。 よって他者(外界)からの解釈に依存する生き方を選択する意思は、少なくともありません。

相手を倒して生き抜くヤリ方にはおのずと限界が見えてくるものだという解釈は、この世に生を受けた 者すべてに通じる考え方だとも、先人たちの残した史的事実や教えの中でも共通した観念でもあるのだと思う のですが、それらが見えてくる前までは突き進んでしまう心に対する共感も またあります。 そうした人生を総合的に 捉えて語ることが出来るのは、あとに生きる者だけなのではないのでしょうか。 いわゆる生前に評価され なかった芸術家の名を、一体どれほどたくさん思いつきますでしょうか。 そしてその評価は不可逆的な事柄であり、 それをもって生前に報われることは決してあり得ないのです。 死後の評価を期待して生き抜くバイタリティー といったこともあるのかもしれませんが、そのように不確かな物事にすがり続けられるのは何か別の力が働いて のことなのかもしれませんし、むしろそう考える方が自然であるように思えてなりません。 「何故?」 といった 目線は そうした方面に向けて色々と考えられるようであると、少しずつ心が豊かになるような気もしますが、 それは錯覚なのでしょうか。 散文気分で散文などを書き続けていて、それが何の救いになるというのでしょう。  すなわちそれこそが 今の「散文気分」の在りように至った経緯の説明であるのだとも言えましょうか。













at 26.Jan.2013   Morino-terasu in Sengawa

仙川にある森のテラスへと、”味噌作りワークショップ”を見学しに行ってきました。



・・・なのだそうです。 ご心配なく。


例年は南のカド部屋の中で焚かれる薪ストーブなのですが、今年は煙突の継ぎ目に難あって屋外のデッキ上に 設置されておりました。

まぁコレはコレでありがたいものですな。

しかしこの季節に家の煙突から煙が立ち上っていないのは、少し寂しい気もしました。


まだまだ残っておりました。

さぞかし雪かきは大変であったことでしょう…


コチラのお宅では落ち葉掃除だって大変なのです。

私も甲州街道沿いのケヤキ落ち葉には泣かされたクチなのですが、古本屋のお隣にあるお寺さんから竹箒やら 何やらをお借りして凌いでおりました。


ストーブの燃料とする薪ですな。
もれなく薪割りという作業が付随します。


森のテラス番人さんたちが前日から準備していた煮豆です。 秋田産の青大豆です。 指先で簡単に押し潰せる 程度まで柔らかく煮込んであります。

コイツを潰して味噌作りするのですが、その前に米麹を用意せねばなりませぬ。 ジップロック袋の中に入れて 揉みしだく地道な作業でありまする。

ほいで麹を煮豆に合わせる時には、ある程度まで煮豆を冷まさないと肝心の麹菌がくだばって上手に発酵 でけません。

この鍋の量を一度に加工するのではなく、やはりジップロック袋に小分けにして作業します。 量が多いと 失敗時の打撃が大きくなります。


このような可愛らしい色使いのモノもあるのですなぁ。

七輪の産地ってご存知でしたか? ほぼ独占状態なんすねぇ。 能登半島のケイソウ土が最適なのだとか。


煮豆を小分けに配っている真っ最中ですな。

たまたまインターネットで告知を見て参加されていたご家族もいらっしゃいましたし、そんな風にして遠くから 来ていた方々もいらっしゃいました。 コレもネットの可能性の一つですか。 かく言う私にも身に覚えが(笑


デッキの横に生えるサクラの大木です。

あんなに頻繁にお邪魔していたのに、開花中の思い出が無いのが玉にキズですな。


庭の瓶の中に溜めた水面には落ちた山茶花の花などがいつも浮かべてあるのですが、コチラの庭でも今年は 不作なようでした。


庭でかき集めた降雪を冷蔵庫のように利用しておりました。 しかし2週間も保つとは。


コレも味噌用の煮豆です。 外のデッキ上に放置されておりました。

葉っぱごと食べるのかと思って訊いたらお皿の代わりでした。 台所で忙しくされていた方に、葉っぱは 食べちゃいけないと注意を促されました。 既に食べた後の祭りでした。 ツマミ食いには様々なリスクが伴います。


庭の端に収穫されたダイコンが埋めてありました。
写真の左手にも もう一箇所ありました。


造園屋さん宅にいとまを告げて出ると昇り始めておりました。 お寺の墓地です。 やはり黄昏時には不思議な ことが起こるものでして、賑やかな一日においては唯一と言っても差し支えないくらいに静かな時間帯でした。


味噌作り見学アフターを過ごしたのは、以前までは ほぼ毎夜のように訪れていたお店でありました。  昨年の9月以来という無沙汰っぷりではありましたが、多少の不運などもありましたから仕方ありません。

開店後まだ間もない店内には照明も灯っておりませんでしたが、待ち合わせた相手が現れるまではムーミンパパ に相手をしてもらっておりました。

ただしムーミン系の方々に下から照明を当ててはいけないようですな。 グラスの中身はまだおとなしく サッポロのラガービールです。 赤い星のラベルです。 彗星だと若干 困ります。 少し落ち着きたいのでして…



at 27.Jan.2013   roof of my house

ナニやってんだぁ?」   「早く消えねぇかなぁ…」

…などと、スズメらの暴言が聞こえてきますわぃ。
だってオマイら雨で湿ったエサとか食わないじゃんかょ。  アレ、意外と根に持ってるからな。 もぉ食い終わるまで ずぅぅぅ…っと、出しとくからな。 天誅なのぢゃ。

 「えぇぇぇぇ〜っ!」     「ひっでぇぇぇ〜っ! 」

     「そぉ〜りゃ ねぇ〜よっ!」

                      「ぶぅ〜〜〜!」
  「ぶぅ〜〜〜!」
             「ぶぅ〜〜〜!」

・・・カチンっ!
(バサバサバサっ あたふた ばさばさ… プリッ!)


P.S.  工事中のお詫びは小芝居でしめくくってみますた。



P.S. at 29.Jan.2013   工事中は解除しますた。





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