【散文気分】 - 2012/12/26 Wed -



こんにちは。
最近は本文の方をお休みすることが多くなっているような気がします。 しかし考えようによっては、本来その 日のトピックス自体が発生しなかったであろうところをあとがきのみで設定しているのです。 よって少々 下世話であったり、俗っぽい部分が目立ってしまうのでしょうが、なにも本文に記述する事柄だって高尚なもの ばかりでは決してありませんよね。

俗っぽいとか高尚なとか、そういった切り分けを意識して日々ココを構成しているつもりはありませんが、 何らかのバランスめいた感覚などは、その進み具合によって自然誘発的に意識しているのかもしれません。  冒頭でシリアスな話題に触れているうちに解放感に浸ってみたくなったり、その逆の場合などに最後は自嘲的 になってみたり、または簡単に済ませてしまったり、などといった具合です。

しかし、そもそものお話をするのならば、俗っぽい物事の中にこそ高尚な物事が含まれているのかと認識しております。  逆はあり得ません。 そこのところは不可逆的なのですね。 賛否ございますでしょうが、やはりそうなの です。 何故ならば、高尚な世界とは、そうした物事を俗っぽい世界の中から見つけ出して純粋に抽出した、 そうした事柄で構成されているからなのです。 とりあえず、今のところは それを私個人の解釈としておきます。

さてさて。 みなさまは入信をお考えになった経験はございますでしょうか。 それは自らの思い立ちによる ことばかりでもないのでしょう。 他者から熱心に勧められたり、街中で不思議と軽薄な勧誘に遭ってしまったり、 中には業務都合などといった不遇な場合もあるのでしょうか。

では、そうした高尚な精神世界へのいざないでもあるのに、不意に他者から勧められると何ゆえにあれほど 煩わしさを感じてしまうのかと、少し考えてみることにします。

一つには、それ相応の時間と労力を必要とするのであり、従ってそれまでの生活リズムにおける調整ごとが発生 してしまうのを懸念してのことなのでしょうか。 そのこと(まず入信)が第一なのであれば、さほどの気苦労 などは感じないのでしょうが、まだそれ相応な要領を得ていない状況なのであれば、それは結構な負担となり 得ましょうか。

もう一つには、それまでの生活や自らの世界観に根差したカタチでの、世間体といった物事が牽制するの だろうかとも思います。 自らの精神面にも波及しようかとする変化といった選択を取った多くの場合には、 好むと好まざるとに関わらず、内面的にも、周囲からも、その変化について取り沙汰される機会が増えてしまう ことなどが、窺い知れるからなのでしょうか。

そしてもう一つだけ述べておきますのならば、危険回避のこころが働くことなどもありましょう。 あえて多く を説明する必要もございませんのでしょう。 阪神淡路大震災と年を同じくして起こってしまった事件に関与 した教団、それを継承する教団に対する疑念の目線はいまだ払拭されることなく、世間的な関心ごととして 間違い無く存在し続けております。

次に、そうした高尚な世界へと入り込んでゆく必然性について考えてみたいと思います。
冒頭三段目で述べました私個人の解釈をもって考えるのならば… と させて戴きますが、見たいもの、あまり 見たくはないもの。 触れていたい事柄、あまり触れたくはない事柄。 関わり合っていたい人々、あまり 関わり合いたくはない人々。 そういった意識的な切り分けに起因する行動が、自分の思いに伴うわなくなって きている事情などがありましょうか。 それは、それまでの平生のように、自らの精神力をもって その命題の 渦中を突き進むことにおいて、ある種の難しさなどを感じている状態なのかもしれません。

たとえそのような場合であっても、人は普通に俗世間に生きる他者を頼っているのだとも思います。 むしろ 当たり前すぎて感覚的にはなんら疑問視するこころも働かないのかもしれません。 そうして不運な出来事が 追い討ちするかのようなカタチで、さらに酷い境遇へと陥ってしまう場合もあるのでしょうか。 なにも悲観視 するばかりではありません。 むしろ高尚なこころの存在に気付く場合もありましょう。 そうした不運な 出来事の想定であるとか、さらに酷い境遇となることさえも 既に引き受けたこころで、苦しいながらも その 相手に対して臨んでいるのだとすれば、人としては そうした人に対して ある種の尊さや愛おしさを感じて しまうのかもしれませんし、仮にそれを外側から見ていた立場として、残念ながら当時者の力にはなれないのだ と察していても、きっといつか どこかで、それを求める相手からは 間違い無く力として発揮されている、 そのような機会などがめぐって来るのかもしれません。 その時に力として発揮出来なかったやるせなさが、 その後に起こる様々な事象を経て なんとか他者のためになるといった、そのようなキッカケとなり得るのかも しれません。

最初にみなさまへ問いかけていたにも関わらず、私のことをお話しておりませんでした。 この辺りで簡単に 紹介させて戴きます。 まず私には入信というものを考えたことが、その検討も含めて、ありません。  しかし、そうした世界を必要としないのかと言えば、それは決して違うのだと言えましょうか。 それは 存在として必要なのだということに尽きます。 そしてそれは、いまある自分というものが置かれている場所 によって、色々と変わるのだという認識です。 ある意味であたかも灯台のようでもあり、ある意味では完全に 相対的であるのだとも感じております。 特殊な世界のようであり、俗世間の一部(一般)に過ぎないかのよう にも、感じているのかもしれません。

私たちは多くの場合にきっと、当たり前のことが 当たり前ではなくなることに対して不思議さを覚えるので しょうけれども、そうした事柄に驚異して先へ進まぬ選択肢もまた、簡単には持ち得ないのだとも考えています。  そうした境遇において突破口を開こうとする者、実際に突破口を開く者、そこを突き抜けてゆこうとする者、 それに追随する者、それらを見守りつつそこへ残る者、さらにはそれを継承してゆこうとする者。 そんな風に、 己が持ちうる生命の中で その都度考えて行動する自由だけは失いたくないというのが、もしかしたら私が入信を 考えない本当の理由なのかもしれません。

高々の一問一答が、尾ヒレを付けて すっかりと長くなりました。 尾っぽも、ヒレも、必要なのだと感じている 今があるからなのに他なりません。 どうかご容赦を願います。














  ・・・・・・ おいルパン、 オレぁ このヤマから降りるぜ。 (スタスタスタ…)

                         そぉ〜りゃねぇ〜よ、次元ぇ〜ん! (スッタコラ スッタコラ…)


まぁそんなワケでして、あとがき三日分を駆使した三部オチとさせて戴きますただ。  へ?(汗
何のコトか?って訊きますか。 だからあの、完全犯罪・・・  もぅいいっす。 (-”─;)ぁぅぅ…

まっことに 蛇足ながらも、 かく語りき。
・・・だから完全犯罪などは出来ようもないのだ。 などとするよりもぉ、 だから完全犯罪などはすべきでは ないのだ。 と、受け止められる方が、私にとって救いがアルのかなぁ… などと、思い至ったもので ありまして。 ただ、それだけなのでありまつ。 ヘイ。

あの、これでも教育というものの在り方に関しては意外にウルサぃんすょ。 モンスターなんちゃらとかは 経験上、ほんの一過性の社会現象でもありましょうが、同じ時代を教師として生きる者にとっては、己の職責を 賭けてなどという場合ではありませぬ。 知らないウチに命までが かかってますから。 

さて。 そんな風に、時代といった物事に根差したカタチでモンスターなんちゃらなどを排出してしまった 我々世代といたしましては、一体どう致しましょうかねぇ・・・   酒、 注ぎましょうか?





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