【散文気分】 ─ 二○十二年十二月一日(土) ─


 こんな夢を見た。どうやら関西方面の私鉄駅のようであり、地上の改札口を入った左手にはトイレがあって、 数段の低い階段を上がるとホームが続き、そして小じんまりとした一杯飲み屋が隣接していた。四〜五人掛けの くの字カウンタの他に二人掛けのテーブル席も二組ほどあった。そんな駅と飲み屋の位置関係などはあとから 知ったことだった。
 初めは私独りであった。飲み屋の入り口寄りのテーブル席に、入り口の方へ向いて座った。おでん種を二つ と、冷や酒をコップで出してもらった。飲み屋の入り口は中途半端に開け放ってある。縄暖簾の向こう側は そのまま駅のホームであり、時折り人の通行が見られた。少し薄暗いのは時間帯のせいなのか、空模様のせい なのかは判らない。夕方ならば駅はもっと慌しい筈だと思い、きっと休日なのだろうと思い直した。
 やはり関西であったのだ。テレビで時々見る顔触れが、ぽつりぽつりと現れ、それぞれに飲み始めていた。 それまでに電車の通行がなかったにも関わらず、やがてそれは阪急電車の駅なのだろうと判った。 カウンタやもう一つあるテーブル席が空いているにも関わらず、映画「パッチギ」の井筒監督が私に相席して きた。彼は初見とは思えない横柄な態度で私に接していたが、私の記憶違いなのかもしれなかった。やからを 言ってみたり、話のある段階では私が「シベリア超特急」のことを持ち出すと、「お前な、シベ超なんかと比較 すなあ!」などと他人の作品までも毒づいたりした。そして私の応答が彼の気に入らないとそのまま説教 された。
 面白くないので縄暖簾の外へ目を向けていると中の様子を伺っている人影に気付いた。井筒監督の説教 を聞き流しながらそれを見ていると、ちらりと顔が見えた。ダウンタウンの松っちゃんだった。もう長いこと 坊主頭の筈であったが、若い頃のように直毛の頭髪を後にかき上げていた。松っちゃんは独り無言で時折り店の 中をそっと覗き込み、その鋭い視線だけを動かして、じっと様子を見回してから、また扉越しに隠れて立った まま、何かを思案し続けているかのようだった。
 二人掛けの席であったが途中で上方落語の桂某が、椅子を持って来てさらに我々の相席に加わった。とっくに 死んだ筈の桂某は井筒監督をたしなめて私に酒を注いでくれた。なんだかやり切れない思いに助け舟が渡された ようなものだった。店内はそこそこに客で埋まっていたのだが、やがて店主が後をよろしく頼んで引き上げて いった。どの客も心得ているようであり、気の向くままに飲み食いしたり、話に夢中なまま、店主の方へは ろくに顔も向けずに送り出した。
 しばらくして私はトイレに立つつもりで戸口からホームへ出て、(松っちゃんの姿はもはやどこにも見当たら ない)そして短い階段を降りてからトイレを横目に通り過ぎた。しかし改札口を通り抜けて駅の外に出た覚えは 無かった。

 次に気付くと私が卒業した中学校のグラウンドであった。体育の授業であるらしく体育教師が、──私の所属 する野球部の顧問でもあるその教師が──生徒たちを自分の周囲に立たせたまま何かを講釈している最中だった。 少し用を足しに中座したままであったのだから、適当な頃合にホームの飲み屋へ戻らねばならないなと思った。 もちろん勘定も置いてきてはいなかった。やはり天気は薄暗い曇り空であり、きっと飲み屋の店主は食事か 買い物などの用事で、一時的に店を空けたに過ぎないのだろうと思った。
 私はその集団の外側の方に立っていたが、その講釈の内容が私には無用であることに気付いていたので、 グラウンド周囲の光景を眺めていた。体育教師が私に注意を払う様子は無かった。どうやら私に対する 何かの信頼感があるのだろうと感じていた。
 私たちの居る場所から一番離れた位置にあるプールの横に、数本のネムノキが生えており、そして花が開花 していることに気付いた。まだ咲き始めてから間もないようであった。そして今は夏の始まりなのだなと 判断した。講釈は続いていたが私は独りでプール横のネムノキに向かって歩き始めていた。私の行動に注意を 払う者は誰もいなかった。ネムノキに近付いていきながらポケットから携帯電話を取り出して、そしてカメラの 撮影準備を操作していた。ネムノキの近くまで来てみると、その花はネムの花ではなく、もっと洋風で派手な 体裁であることが判った。私はがっかりして携帯電話を再びポケットにしまい込んだ。そしてグラウンドに振り 返るととっくに体育教師の講釈は終わっており、生徒たちは自主的にソフトボールをやり始めていた。 遠くの方に通用口から校舎の中へ消えていこうとする体育教師の後ろ姿が見えた。
 放課後にはいつも通りにクラブ活動の練習があった。部室で着替えてからバックネットの裏に道具を置いて 部員たちの集合を待つあいだ、二年生後輩部員の一人から問い詰められた。体育の時間にソフトボールをして いただろうと言うのだ。そうだと私が答えると、「三年生ばかりでずるい」と彼は言うのだった。毎年三年生は 受験シーズンが近付くと体育の授業が毎回ソフトボールになるのが慣わしだった。私はその後輩部員が、自らも 次期に三年生となることを、しっかりと自覚してくれたらいいのになと思ったのだが、既に引退した私が こうして練習に出て来ていることが邪魔をして、彼のことをたしなめるような言葉を切り出すことは一切 出来なかった。



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先日自宅に投函された市の広報の最終頁に、ある調査協力を募る記事がありました。 協力するよりも何よりも、その詳細な内容と調査票のことが気になりまして、広報の告知にあったとおりに市の ホームページで ”まちづくりみどり推進課” の案内を探し回りましたが、そのようなトピックスへのリンクは 見つけることが出来ませんでした。 苦言を切り出すつもりなどは毛頭ありませんでしたが、仕方なく課へ電話 してそう訊ねてみますと、まだ更新〜公開前であり、恐らくはその翌日の午前0時に公開される見込みとの アナウンスを受けました。 丁重に礼を言って電話を切ってから、フン!と言いました。

協力するかどうかは別として、遊びで普段の散歩に取り込んでみたら面白そうだなと思いました。 もしも それなりの調査内容となった暁には、せっかくなので、ついでに協力して差し上げましょう。 そんなモノで あっても構わないと言うのであれば。

                 藤沢市 水辺の鳥調査 2012

              

調査対象期間の開始は今日、12月1日からです。 この一週間ほどの間にも既に カワセミ、マガモ、 セグロセキレイ、ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメの計6種を観察しておりました。 カモ類にカウントが 稼げないのは、カモ類への執着心が弱いからなのだと思います。 この機会に改めてみようとも思いますし、 ハシビロガモなんて なかなかに魅力的であることなどにも気付きますただ。

陽気のいい時季には川の浅瀬でカルガモの親子が”しばしば”見られるのですが、この季節ではねぇ。   ・・・あ、 そうか。 繁殖シーズンをわざわざ外したのだな。うむ。 それか・・・  単なる重い月だろ。 それでは少し気が重いので、真相究明は回避が賢明ですかな。


             at 1.Dec.2012  view from my home gate.


ちょっと煙草を買いに出ようとしたら、お隣のブルーベリーが 炎上中 でした。 なので2階の自室までわざわざ携帯を取りに戻らねばなりませんですた。 ヒト様ん家のブログ炎上 は気の毒ですが、コチラではちょいと想像しにくい現象っす。  ちょっぴり憧れたりもしやすが。

ただし大家さんの逆鱗に触れたりすると、たちまちアクセス不可となったりはしますだ。
あんまり派手な羽目外しは禁物ですな。   (-”─;)うぅぅむ…



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今年初めて気付きました。

私は知らなかったのですが、自宅向かいにある某工場の独身寮では、ここ数年来で 毎年この時季には、入り口にクリスマスの飾り付けを施しておったのだそうです。 もちろん親父さまは 気付いておりました。

私がナゼ気付かなかったのかを解説しませば、自宅は坂の中腹にあり、昼間に家を出て駅方面へ出掛けると、 バス利用であろうと歩きであろうと、帰りは坂の下から登ってくるワケでして、飾り付けの位置はちょうど 死角になっていて全く見えないのですょ。

さらに。 仕事を続けていた間には夜間に2階・南側の部屋に立ち入る機会もめったに無かったのかと想像 します。 帰宅後には カーっ!と飲んで カっ食らって、風呂へえって 寝ちまう。 ただそれだけの毎日 だったのですな。 お粗末な話です。

      

では、今宵はナゼ気付けたのかも、この際はお話しておくべきなのでしょうか。

何のことはない、仕事を離れてからロクに外出もぜず、そして近頃では積極的に南の間に出入りしていることに 尽きますな。 朝、昼、晩に深夜も問わず。 何をしているかを明かすのならば、大抵の場合には窓を開け 放して煙草を、一本一本、毎回ゆっくりと吸っております。



こんな風に今日も終わってゆきますが、明日は久々に電車で都内へと繰り出します。
祖師谷まで、のこのこと出向きます。 友人の写真家が知り合いのライブ喫茶で蕎麦打ちするのですわ。  蕎麦は福井県産の蕎麦粉を取り寄せて使います。 ちゃんとお師匠さんがいて、かれこれでもう10年くらいの 取り組みであったかと思います。

大学生時分の友人が経営していた古本屋を手放すことになり、その最後の営業はもう5年前の大晦日のことで ありました。 少し早めの時刻の閉店後にも、まだ細かな残務のあるその友人に見送られて、手伝いを申し出た のですが終わったらそのまま郷里の群馬へ車で帰るからと、その最後の晩に酒を酌み交わすこともありません でした。

そんな時に実家へと誘ってくれたのが写真家の友人でした。 年越し蕎麦を打つからと。
ほんの手土産を持参して伺い、大勢のご家族や彼の相方さんと一緒に打ち立ての蕎麦を堪能しました。  帰り際には親父へと、あらかじめ打ってあった生蕎麦を手土産に持たせてくれました。   それが今から 5年前の、 年の瀬と 蕎麦の思い出であります・・・