【散文気分】 - 2011/12/06 Tue -



思い出話のようなお話が続きがちで申し訳ないのですが、それはきっと自分の説明したい事柄を何かに例えて 説明の試行錯誤をしているウチに ついつい自分の過去を探って遡っていってしまうからなのではないのでしょうか。


1990年の11月初めから12月中旬頃までにかけては 我々夫婦(家族)は別居しておりました。 妻は娘が生まれて 約1ヶ月間は娘と共に近所の実家に仮住まいしておりましたから。 要するに新生児育ての手助けを彼女の母親へ 求めたのですね。 いかに近所とはいえ困ったコトがあった時にだけ連絡して来てもらうよりも同居している方のが 心強いでしょうし、何よりも妻の不安がそれだけ大きかったのでしょう。 そしてそれを義母は助けたかったのでしょう。

私自身もちゃっかりしたモノで 会社帰りの夕飯は妻の実家で毎晩戴いておりました。 そして日課のように 娘を沐浴させてから独り自宅へと帰り、風呂に入って1日の疲れを癒してゆっくりしてから布団を敷き、翌朝の 弁当か おにぎり用に炊飯器のタイマーをセットしてから眠りについておりました。

私の休日朝に独り自宅でくつろいでいると電話が鳴り、妻が泣き声で娘が泣き止まないとうったえるので (義母が留守で家族は誰も居ませんでした)、急いで身支度して駆けつけてみると ケロっとして娘を抱いた まま玄関まで妻が迎えてくれるので 『 …何だったの? 』 と尋ねてみれば、妻はただ 『 うん、なんか泣き 止んだ 』 と まだ赤く腫れぼったいままの目をして答えていたコトなどもありました。

あとから思いましたが、初めての育児ストレスからヒステリックになっていたのでしょう。

私は休日にも大抵は妻の実家で夕食を それこそ二家族全員のつごう7人で戴き… まぁ一人は母乳でしたが、 そして私もそのまま泊まっていってしまったコトなどもありました。 その時季の札幌はまだ”根雪”となって はおりませんでしたが ほぼ毎日のように雪が降りました。 そしてその家では夜通しストーブを弱く焚いたまま 寝るのが当たり前といった住宅なのでした。

決して広い家ではありません。 古い造りの平屋建てで公務員官舎でした。 ダイニングの他に居間と二部屋が 縦につながった形状で、それぞれの部屋の仕切りや襖を閉じるコトは その家の習慣では行わないようなの でした。 そうした家で6人半が眠るのもなんだか不思議な感じがしましたが その家族にとっては高々私一人が ”その家のいつもと違う” といった程度なのでしょう。 そして妻と娘と私が居間に布団を敷いて貰いました。

消灯して、不思議に娘も穏やかに眠り続けており、やがてどこからか家族の寝息が聞こえ始めて来ましたが 私は 不慣れな感覚になかなか寝付けませんでした。 が、やがてうとうとし始めた頃でしょうか、やはりまだ眠れない … 夜中に娘から起こされてばかりで どちらかと言えば睡眠不足続きの妻がコチラ側に寝返りをうった時に、 暗がりにも関わらずハッとして目が合いました。 そして妻は私に 『 毎日辛いよ、なんだか疲れちゃった… 』 と、聞き取れないくらいの小声でささやくのでした。

明かりをつけて話し込むワケにもいきませんから、必然 私は妻の布団の方へと移って横向きにカラダを寄せ 合ったかと思います。 妻の息が湿っているように感じましたから少し泣いているようでした。 それからは 私は妻の髪をなでながら ささやくような小声を ポツリ、ポツリと聞いては 声に出さずにウン、ウン頷いて いたのだと思います。

しばらくの間そのようにしているうちに 私は妻の顔を私のパジャマの胸辺りに寄せ付けてから、妻の下着の中へと 手を滑り込ませて陰毛をゆっくりとまさぐりながら… なんだか迷ったようにまさぐりながら、やがて妻の性器へと 指を這わせてゆきました。 妻は動じるでもなく ただ私に身を任せたままでした。 そして私はわずかな音も 立てずに、妻も私のパジャマの胸に顔を押し付けたまま少しも声を漏らさずに、ゆっくりと ゆっくりと そうして いました。 が、やがて妻の吐息は少しずつ早くなって来て その最後を強く求めるかのような感触が確実に 伝わって来ておりましたが、この静かで暖かな家族らの眠る空間に相応しくないような音が溢れ出しはしないかと 神経を張り詰めながら、私はすぐに妻の求めに応ずる動きを施すコトが出来ませんでした。

それなのに、そうしているウチに妻は ほんのかすかで悲しげな長いため息をつき始めたかと思うと、ぶるぶると 震え出しました。 そして私はその震えと 私の胸で声を押さえた長いため息が収まるまで、相変わらず指先は ゆっくりと動かしたままに、しっかりと妻を抱きしめ続けていまいた。

もはや呼吸をしているのかも微妙に判らないくらいに穏やかになってきた頃になって 妻は 『 ありがとう。  もう大丈夫だから、 寝るね… 』 とささやくので、私は頷いてそっと姿勢を戻しながら自分の布団へと戻り、 仰向けに眠ろうとしている 暗がりの中の妻の横顔をしばらく眺めておりましたが、自分が一体いつ眠ったのか までは思い出せません。 そしてその晩にもきっと いつものように何度か娘に起こされた妻が母乳を与えていた であろうコトなども知らぬままなのです。 当時のそのような妻と娘の日常的な事柄について私の頓着が無かった コトなどは、もはや別れ際近くになって妻の口から ”それまでの私に対する不本意な点” として聞かされました。


要するにコレが私にとっての ”寂しさ” なのです。
この説明の長さは 自分では完全なる説明などは出来得ないと感じつつ書き連ねているからなのかもしれませんし、 または別の理由によるモノなのかもしれません。








At North-Fujisawa -6.December.2011-



毎年この時季になると近所の工場フェンス際に ずらぁぁぁ…っと ”さざんか” が咲き乱れます。
今年は一部 開花の直前に剪定がなされて花付きが少し寂しい場所もありますが、まぁ適当に咲いているようです。

画像の場所は自宅から向かうと最初に ”さざんか群” が出現する工場の守衛室ワキなのですが、歩いていて この辺に差し掛かると ほぼ自然誘発的に脳内で寂しいギター・イントロが流れ始めるのですょ。 仕方がナイ ので歌詞の分かる1番だけを歌って歩くのが常なのです、ハイ。

大川栄作の 『さざんかの宿』 ですね。 私が多分 中学2〜3年生の頃のヒット曲ですな。

別に歌詞を暗記した記憶などはありませんが、当時はそれ程にテレビやラジオで流れておりましたから。  確か彼は演歌歌手となる前にタンスの製造だか運送だかに関わる仕事に就いていたとかでありましてぇ、 先日もちょっと持ち出した 『ザ・ベストテン』 に何度目かに出演した時だったでしょうか。 その日は最後まで歌い あげてから(バックの演奏が終わる直前に)予め用意されていたタンスを噂どおり一人で軽々と肩に乗せて 『よいしょっ!』 っと持ち上げて勇ましいポーズを決めて見せると、もぅ黒柳徹子が やんややんやと大騒ぎ して喜んでおりました。   …が、私は腹抱えて笑ってますた。


ぼちぼち年始商戦に向けた ”福袋” の準備が始まります。 デパート向けに卸したりはしませんが、直営の 店頭販売だけではなくwebでも販売しますので まぁそこそこの数量とバリエーションを用意せねばなりませぬ。  えぇ。 コレも私が大っ嫌いな年中行事の一つなのであります。 ナニが大変かって その準備よりも 『売れ残り品』 の解体とストック戻しが…   あ〜 もぅ考えたくもない。

毎回思うけれども ナゼ 『売り切れゴメン』 の魅力的な福袋が企画出来ないのだらぅ。
webのコトを考えれば店頭だって全部ではナイにしてもある程度の受注販売方式にすれば無駄な生産や後始末が 減らせるのにさ。 この経費(人件費)への関心の無さはですねぇ、恐らくは私の雇用形態に端を発するのではないかと推測する ワケなのですょ。

 (-”−;)うぅぅむ…





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