【散文気分】 - 2011/03/24 Thu -


年明け以来、徐々に元気の低迷期間に迷い込んでおります。
みなさまは いかがお過ごしでありましょうか?

いわゆる”トラウマ”であるとか ”PTSD”といった事柄が気に掛かる、震災後の私であります。 …あ、 あくまでも 自分本位に というお話なのです(笑

ここ数日間は深夜残業・早朝出勤が続いております。 そして私にとっては複数の方面から、今週ならでは の”状態”なのであります。 そのハード・ワークがですね。
先週までは溜まった作業も思うように残業でこなせない といった状態であり、メンタル面では低調 気味でありました。 先週の火曜日などは遂に”ズル休み(ダメ休み)”までしてしまう始末。  あぁ、ヤっちまったなぁ… といった思いを、今では痛切に感じております。 いやぁ〜、そうなのでした。


今夜の帰宅途上、地下鉄車内にて ある車内吊り広告に目が留まりました。
冒頭の大見出しに 『東○電力の「大罪」』…と。
以下、箇条書きに十数項目が羅列されております、いわゆる週刊○春の定番的な在りようです。  そして散々に迷って挙句にためらったコト。それは…
まず、大見出しの『東○電力』の部分を、手を伸ばして丁寧に ちぎり捨てる。
そして 仮に職場の文具が揃っておったならば、テープと裏紙を揃えて太マジックで 『国家』と書き換え、貼り替える。 そんな妄想を思い立っておりました。

全てが後手〃ですよねぇ、今の原発問題における国策。
なんで『東○電力』の”せい”にされるのか、私には わかりませぬ。 解せぬ。
現場は まさに”必死”ですょ。

電力の供給源に『核』を利用する…といった論議とこれまでの(短い)歴史的経緯では、国策であった ハズなのです。 たかだか民間の”なんちゃら電力”などという会社に管理・運営責任を与えるか どうかといった問題ではなかった… いや、そうであっては、そんなコトではあってはならない 由々しき問題だったのであり、 数十年前の原発誘致”反核”運動は風化してしまっておったのでしょうか。
今の政府の対応は、そういった意味合いにおいて かなり”子供じみて”いるように思えてなりませぬ。  少なくとも”大人社会”の対応とは縁遠いと思いまする。
『核』を利用するといったコトは、我々日本国民(広島・長崎を経験したあと)にとっては、もはや 新たに経験してみてやっと判る問題ではなかったハズなのですょ。
たとえ その”備え”そのものが、想定外の出来事に遭遇してであっても… です。


ちょいと別のお話になります。
私の別れた嫁の母方の祖父母宅は仙台の石巻にあります。 結婚直後に一度だけ訪れたコトがありました。  宅にたどり着くためには かなり長い坂道を、えっちらおっちら登ってたどり着いたモノでした。  感覚的には小さな山の上でしたねぇ(汗

その少しあとから聴いた話では、元々は石巻港湾の近くの平野部に居を構えておったのが、昔の津波被害(伝聞か?) から考え、居を今の山の上へと移したのだとか。 記憶は定かではありませぬゆえ ご勘弁を。



被災地の皆様方への迅速かつ適切な救済と復興を願う、そして今 自分の出来うる協力を惜しまぬ心は自分なりに 持っているとの所存であります。 そして、さらなる復興をです。 それは果たしてコノ国において、 どのような形の”復興”となるのでしょうか。 もちろん原発問題に関してもです。

今の急場を乗り切るコトは最前列で考えるべきとの認識において、異論はありませぬ。  そして、少し明るい兆しが訪れてきたならば 是非とも考えねばならないと思った その想いが、 今夜帰りの電車内の車内吊り広告で私に考えさせたのだ。
… と いった、40代オトコの お話でした。

スミマセン。









                At my workspace -2:54 PM 11.Mar.2011-

               

※ 地震が納まった直後の画像であります。 仕事してました(笑

 商品の要・修理品の状態を説明する画像を現地(香港)に伝えるための作業でした。
 でもね、ゆれている間中は、『あぁ…、このまんま地下2階で押し潰されちゃうのかなぁ…、
 運よく命を取り留めても、救出されるまでに凍えながら耐えなきゃならんのだろうなぁ…』
 などと考えておったのでありますょ。

 何故か私の居た倉庫内は無傷。 オフィスと連絡は取れないし、仕方ないから仕事を続けて
 おりましたが、後から分かったのですが オフィスのスタッフをはじめビル館内の多くの人々は
 ビル外へと避難しておったようなのでした。
 それを知らずに あまりにも長くオフィス(含・スタッフ携帯)と連絡取れないので、痺れを切らして
 停まったエレベーターを恨みつつ 階段で12階まで上がると、鍵が掛けられた無人のオフィスと
 ショウルームは書類棚やディスプレイ商品の陳列テーブルが倒れたりして大変な有様でした。


                  At North-Fujisawa -12.Mar.2011-

               

 震災当夜は電車不通のために倉庫に泊まって翌朝に動き出した電車で帰宅しました。
 ようやく最寄り駅までたどり着いて、ホッとして近くのコンビニで缶ハイボールをゲットして、
 駅近くの公園内の梅林で一服した時の画像であります。 紅白の梅が満開をやや過ぎた
 辺りでした…


               


 そのまた近くの川沿いの桜並木では、新しい蕾もだいぶ ふくよかに(?)なっておりましたな。

               









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