【散文気分】 - 2008/12/14 Sun -


『ちょー』のお話です。

正確に音で表すのなら ”超(ちょう)” なのですが、それを持ち出す、正にその時、 その気持ちに任せて 言うならば、やはり ”ちょー” なのですね、きっと。
古いマンガのキャラクターで、彼の”叫び声”としての『ちょー』が巷を賑わせておったのは、 私が小学生の頃の お話であります。 が、コチラの方は、またいずれ… 機会を待ちましょう。


とは言え、古いお話を持ち出さねばならぬコトに変わりはありませぬ。
私が小学校にあがった翌春、我が家は引っ越しの転機を迎えておりました。 新学期に合わせて春休みを 選ぶのは、子供を抱えるご家庭では 特に人気の移動シーズンでありますよね。 その日、3学期の終業式を 終えて家に帰ると、約束してあった通りに家には鍵が掛けられ、窓越しにガラ〜ンとした家の中が望めるのみ なのでした。 そして日当たりの良い縁側で、ひとりで親父の迎えを待っておりました。 私が学校へと 行っている間に引越し作業を進めていたのですよ。 午前中、新築の社宅に家財を運び込んでから、親父が 自転車で私を迎えに来る… といった段取りなのでした。 自転車でも片道で軽く1時間ぐらいは掛かかる道のり なのですが、計画は滞るコト無く、着々と実行に移され、親父は私を迎えに来てくれました。

二人とも昼食はまだでしたので、途中でラーメンを食べました。 私は親父の自転車の後部荷台にまたがり、適当な 道や場所などの ”教え” を受けながら、次第に転居先の地へと近づいて行きます。 そして真新しい社宅まで あと10数分という、見渡しの良い農地に差し掛かった時、親父は自転車を止めて言うのですよ。
『 新幹線が来るまで ちょっと待とうか?』 と。 そう、そこは東海道新幹線をまたぐ跨線橋の上だったのですね。  私にとっては大事件ですよ。 以前に住んでいた地域を走る鉄道と言えば”相鉄線”であり、”大塚本町”という かなり以前に廃止されてしまった最寄駅を、もっぱら利用しておりました。 幼少の頃から鉄道好きでしたから、 そんな相鉄線でも興味の大きな対象であったコトを どうかご想像くださいませ。

金網で仕切られた跨線橋越しに、二人で待つこと…10分ぐらいだったのかな? こんな風に跨線橋の上で、先の相鉄線 を見送って遊ぶコトなどもあったワケですが、今回の獲物は 夢の 『 超特急 』 新幹線なのでありますよ。 その 10分くらいの間を、どんなに興奮して待ったコトか…

『来た!』…という親父の合図、はるか遠くに昼間であるにもかかわらず、強く射し込んで来る光が確認出来ました。  そしてその数秒後、圧倒的な轟音と 巻き上がる強風、パンタグラフを激しく響かせながらも、一瞬でその ”嵐” は 過ぎ去って行ってしまいました。

その数日後、新学期の始まる直前に、ひとりでもう一度その跨線橋まで行ってみました。 自転車で10数分の道のりは、 まだ道順にも自信のナイ 新・小学2年生の足どりでは、30分ぐらいは掛かったのでしょうか。 軽い冒険でした。  ドキドキでしたが、新幹線をひとりで間近に何度も見送り、大満足でした。

新学期が始まり、新しい学校と友達や先生とも親しみ始めた、ある日の図画工作の時間。 課題はズバリ、” 自分の 好きなモノ ” の絵を描くコトでした。 迷わず跨線橋から見下ろした、新幹線どうしの ”すれ違い” 風景を描いたのですが、 クラスメイト達からは、『新幹線どうしが競争するかぁ〜?』 などと嘲笑された記憶があります。 当たり前のように、 その眼で実際に見てもいないような、富士山を背景にした 新幹線の遠景などを描いている子達には、高速走行中の前照灯と赤いテールランプの色の 使い分けなどには、注意力が働かなかったのでしょうか。 新しいクラスで そんな簡単なコトを伝えることも出来ずに、 自分の描いた絵に対して、ひとり静かに自信を持っておりました。








    

※ 今日、初代新幹線 ”0系” 電車の 『さよなら運転』 が、新大阪〜博多 間でとり行われました。
 ハイ。 今日のネタは ただそれだけなのでした。 けど 東海道新幹線って、あの当時にたった
 6年ぐれぇで作り上げちまったらしいのですよね。 ニッポン人、スゲぃっすよ(汗


 ↓今宵、月の出 直後の姿なのですが、やっぱ昨日 撮りたかったよなぁ… チッ!!
 ナイト・ウォーカーとしては、やはり月や星々の恩恵に 授かり続けていたいのですょ…

               








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