【散文気分】 - 2008/05/04 Sun -


自宅無きホームタウン?
私にとってのそんな街が仙川になろうとは、4年前の春先には想像出来ませんでした。 縁あって 大学時代の友人が経営する古本屋(FC加盟店)を手伝うコトになり、彼を訪ねた翌日にはチェーン 本部の直営店へ1日研修に出向き、その翌日から仙川で働くモノのヒトリとなりました。 それが 4年前の3月です。 在学中に別の友人が仙川のアパートに住んでおりましたが そこを訪ねて行った コトは無く、何の予備知識も無いままに働き始めたと言って差し支えないと思います。

今にして振り返ると 街の印象はガラリと変わっているコトが解ります。 それは電車通勤から バス通勤に切り換えた時にも感じましたね。 しかし友人が廃業を決めて店を第三者へ譲渡するまでの 約3年8ヶ月の間に、もっとも目覚しい変化を遂げたのが、見知らぬ街から宝の山へ…といった 感覚を持つに至ったコトなのだと思っています。 …多分(笑

では、かの友人(経営者の方です)はこの街をどのように思っていたのでしょうか。 実は勤務当時 にもそういった内容のコトを何度か尋ねてみたのですが、質問が空振りしていたのか 記憶に留められる だけの回答を得られなかったのだと思います。 残念ながら。 仕事その他の都合から、彼の間借り している家に泊めて貰ったコトが何回かありました。 店からチャリンコ二人乗りして10分くらいの トコです。 駅からゆっくりと歩いても20分くらいのモノだと思います。 店の立ち上げから1年近くは 経営も振るわず、学生アルバイトの不正が発覚し、2年目のネット販売が好調で、秋には店が空き巣に 入られ、好調で年末には特別手当が出て… 年が明けてしばらくすると彼の中で何かが変わっていた のに気付かされました。 ささいなコトだったのですが、ある日突然にそれを確かに感じ取りました。 自分の中で何かを決めて強くなったような印象… と感じ取ったの だったかな。 けれどその年の年末に 廃業したいとの意向を聞き、経営の収束へ向けて そこから更に1年間をともに頑張ってきました。 その間には随分と酷いぶつかり合い方をしたコトも何度かありました。

店の譲渡後に郷里へ戻った彼とは その後は短い用事を電話で話したのみであり、再就職の情報もいまだ 私の元へは届きません。 私の再就職が決まろうかという時に近況と ある業界の動向について アドバイス貰えたら嬉しい旨のメールを打ちましたが、仲間内のメーリングリストでcc:に 『返事出来ずにスマン』といった内容の 間接的な短いメッセージを受けたのみでした。 私にとって は貴重な返事でしたから、『こちらのコトはお構いなく。いつか仙川店の総括をしましょう。 本気で(笑』と、私も彼に倣ってcc:で間接的に記しておきました。 少なくともこの仲間内では 『総括』というキーワードはある種のおかしみを醸し出すコトを利用しての、ウィットに富んだ メッセージであったコトは間違い無いハズなのですが、残念ながら反応ありませんでしたね。 また空振りだったようです(笑



店を後にしてからも、私が度々仙川の街を訪れておりますコトは 容易にお察しがつくコトと 思います。 決して楽な通勤ではありませんでしたが、心の中で苦痛を感じるコトは全くと言って 差し支えの無い程ありませんでした。 まぁ肉体的にしんどい時も 極たまにはありましたが。 理由は今ではハッキリと答えられるつもりなのですが、要するに私の意識中には育てて貰ったと いう感覚を、たった4年弱の間に、仙川の街に対して持っているからなのだと思います。 自分を 育ててくれる、育ててくれようという意識を感じる相手に対して 悪い印象をもつヒトは少ないの ではないかと思いますが、もしかしたら彼は自分の力をトコトン信じて試していたのだと思います。 詳細な話を聴いたワケではありませんが、何処ぞの師匠の下で育てられ、その教えを守り、 力を付け、師匠の免許皆伝を受け取り、そしてヒトリ離れてあの街で
起業した…

あわよくば彼が後継者、または店を任せられる人物を育てようとする姿を見てから あの店を 去りたかったなぁと、今にして痛切に感じています。




※ 今日はこれから娘が訪ねて来るのですが、待たされております。 到着は午後3時過ぎの見込み だと、たった今メールが入りました。 この苛立ちが文章へ反映されていないコトを切に願います(笑





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