【散文気分】 - 2008/05/03 Sat -


不思議な金曜日…

ただし、それを引き起こした責任(?)と動作の仕手は 結局のところ全て自分自身なのだ という自覚は ちゃんとアルのですよ。 そこのところを外へ求めると、きっと
『不思議な…』 という感覚が生じるのですね。
この仮定を自由に使いこなすコトが出来たなら、大抵の物事やヒトに対して優しい気持ち で接するコトが出来るのじゃないかなぁ…などと考えて目覚めた、これまた不思議な 土曜の朝を迎えております(笑


『議論は嫌よ』 という女性の言葉が 漱石の小説に出てきます。
どう思われますか?…と尋ねるには少し説明が必要なのですが、そこから感じられるモノを 自由に発想し、発言として展開させ合うコトは 既に議論なのではないかなぁと、私は思います。
では、ブログやこのサイトなどで想いや考えなどを自由に展開させるコトは議論との距離を置いた 所作なのでしょうか?
自問自答を内なる議論と位置付けるならば、上記の行いは 既に議論を経たうえでの表現を 展開させているコトになります。

スミマセン、決して難しいお話がしたいワケではないのです。
けれど自分の何かを表現するには、読み手に対して自分の目線を説明せねばならないし、それを怠ると 『コイツ何を言ってんだ?』という 不本意な反感をもって、
その方はきっと私の表現世界から離れていかれるコトでしょう。 決して『全てのヒトから共感を 得たい』などといった おこがましい思いは抱いていないつもりなのですが、 解り合えるコトの幸せを かろうじて知っているモノとして、些細な独り言を申し上げている 次第なのです。


文筆家、いえ、多くの表現者の方々は、その作品の『まえがき』のような表現を残されるケースが ありますよね。 今朝の私は これからの行動における『まえがき』のようなモノの必要性を 感じているのかもしれません。 まだ公開すべき作品も無いのに、何をたわけたコトを… と思われるとは、十分承知しておりますが(笑

でも、多分それ(前書きの必要性)は錯覚なのだ とも感じているのですよ。ヘイ。




※ この金曜夜には補充したサイフの中身をスッカラカンにして帰宅しました。
  …あ、少々ワケあって 初めてカードでタクシー乗りました。
  サイフの状態とは決して無関係に… なのですよ。 コレがまた話すと笑えるんだけどな。





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